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ウジェーヌ・ドラクロワ

ウジェーヌ・ドラクロワ

Eugène Delacroix
17 作品

サルダナパールの死が批評にこぞって退けられたあと、ウジェーヌ・ドラクロワは美術監督官から作風を変えるよう求められたが、断った。強烈な色彩と動きのある構図でフランスのロマン主義を代表し、民衆を導く自由の女神キオス島の虐殺で知られる画家である。

1798年、パリ近郊のシャラントン=サン=モーリスに生まれた。1815年、画家のおじリーズネルの勧めでゲランのアトリエに入る。そこで7歳年上のテオドール・ジェリコーと知り合い、大作「メデューズ号の筏」のモデルも務めた。師の教えよりも、ルーヴルで模写したピーテル・パウル・ルーベンスやヴェネツィア派の絵から多くを学んだ。

1822年、24歳でサロンに初出品したダンテの小舟は、批評が割れたものの国に買い上げられた。1824年には、ギリシャ独立戦争の惨劇を描いたキオス島の虐殺で二等メダルを受ける。同じサロンでジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルが歓迎され、素描家のアングルと色彩画家のドラクロワという対立の図式が広まった。

1826年のミソロンギの廃墟に立つギリシアでは、同じ戦争を寓意で表した。1828年にはゲーテの「ファウスト」に17点の石版画を添え、作者を喜ばせた。

1831年のサロンには、前年の七月革命をたたえる民衆を導く自由の女神を出品した。

翌1832年、外交使節団に加わってモロッコを旅する。日なたに寝そべる人々のなかにカトーやブルートゥスのような古代の人々がいる、と友人に書き送った。この旅からアルジェの女たちが生まれ、晩年までモロッコを題材に描き続けた。

1833年からは国の建物の装飾を任され、ブルボン宮やリュクサンブール宮の図書室、ルーヴル宮の天井を手がけた。サン=シュルピス教会の礼拝堂の壁画には、1849年から1861年まで取り組んだ。

1838年に知り合ったショパンとは、ショパンが没するまで親しかった。フレデリック・ショパンの肖像に、その姿を残している。

美術アカデミーの選挙では1837年から落選を重ね、1857年にようやく選ばれた。1863年8月13日、パリのフュルスタンベール通りの住まいで没した。

詩人ボードレールは1845年、ドラクロワを古今で最も独創的な画家と評した。エドゥアール・マネはダンテの小舟を2度模写し、フィンセント・ファン・ゴッホはドラクロワの「ピエタ」を石版画から描き直した。

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