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アンリ・マティス

アンリ・マティス

Henri Matisse
14 作品

アンリ・マティスは晩年、寝台から長い竿の先につけたクレヨンで大きな作品を描いた。フォーヴィスム(野獣派)の中心となったこの画家は、切り紙絵に打ち込んだ晩年まで、色を、ものを写す役目から解き放ち、その表現力を追い求めた。

1869年、北フランスのル・カトー=カンブレジに生まれた。法律を学び、サン=カンタンの法律事務所で書記として働いた。1890年、盲腸炎の療養中に母から油絵の具の箱をもらい、箱に入っていた色刷りの手本を写し始めた。

翌年には法律の仕事をやめてパリへ出て、やがて画家ギュスターヴ・モローの教室で学んだ。

1905年の夏、地中海の漁村コリウールで、画家アンドレ・ドランとともに制作した。赤と緑、橙と青といった補色をぶつけ合う絵を、その秋のサロン・ドートンヌに出した。批評家ルイ・ヴォークセルは、強い色の絵に囲まれた彫刻を「Donatello chez les fauves」(野獣たちの中のドナテッロ)と書いた。この「フォーヴ」(野獣)という呼び名から、フォーヴィスムの名が生まれた。

帽子の女を買った収集家のスタイン兄妹らが作品を集めるようになり、暮らし向きはよくなった。兄妹の一人、ガートルード・スタインのサロンでは、11歳年下の画家パブロ・ピカソと出会った。二人は生涯の友であり、競い合う相手でもあった。

ロシアの収集家セルゲイ・シチューキンからは、屋敷の階段を飾るダンス IIと音楽の注文を受けた。

1917年の暮れにニースに落ち着いた。1941年に十二指腸のがんの手術を受けてからは、床につくことが多くなった。助手がグワッシュで塗った紙を鋏で切り抜いて並べる「切り紙絵」に打ち込み、その図20点に自身の文を添えた本『ジャズ』を1947年に出した。

南仏ヴァンスのロザリオ礼拝堂では、ステンドグラス、陶板の壁画、家具、祭服までを手がけた。礼拝堂は1951年に献堂された。

同じ1951年、東京・上野の表慶館で、日本で初めての大規模なマティス展が開かれた。マティスは図録に、前年のパリの個展を最後にするつもりだったと書いている。それでも、かつて自分に学んだ画家の硲伊之助に説かれ、日本での展覧会を引き受けた。1954年、ニースで没した。

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