団体
自由分離派(フライエ・ゼツェッシオン)
じゆうぶんりは
自由分離派(じゆうぶんりは)は、ドイツ語でフライエ・ゼツェッシオン(Freie Secession)と呼ばれる、ベルリンの美術家の団体。1913年の内紛でマックス・リーバーマンやマックス・スレフォークトら約40人がベルリン分離派を去ったのち、その一部が結成し、リーバーマンを名誉会長に迎えて1914年4月に第1回展を開いた。役員のマックス・ベックマンやエルンスト・バルラハのほか、エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナーやオスカー・ココシュカら表現主義の画家も会員に名を連ね、1923年まで展覧会を続けて1924年に解散した。
出典: de.wikipedia「Freie Secession」(2026-09-24 版、2026-10-11 取得) https://de.wikipedia.org/wiki/Freie_Secession、de.wikipedia「Berliner Secession」(2026-08-31 版、2026-10-11 取得) https://de.wikipedia.org/wiki/Berliner_Secession、ディートリッヒ・シューベルト「Anmerkungen zur ersten Ausstellung der Freien Secession in Berlin, April 1914」(Jahrbuch der Berliner Museen NF 52、2010年、ハイデルベルク大学 ART-Dok、2026-10-11 取得) https://archiv.ub.uni-heidelberg.de/artdok/3446/1/Schubert_Anmerkungen_zur_ersten_Ausstellung_der_Freien_Secession_2010.pdf、『Katalog der dritten Ausstellung der Freien Secession Berlin 1917』(ゲッティ研究所の所蔵本、Internet Archive、2026-10-11 取得) https://archive.org/details/katalogderdritte00frei、コトバンク「表現主義」(改訂新版 世界大百科事典・百科事典マイペディアほか、2026-10-11 取得) https://kotobank.jp/word/表現主義-121240、Neue Deutsche Biographie「Liebermann, Max」(ヘルマン・クーニッシュ、14巻、1985年、2026-10-11 取得) https://www.deutsche-biographie.de/gnd118572695.html
年表・沿革
1913
- ベルリン分離派で会長の画商パウル・カッシーラーが退けられたことから分裂が起こり、リーバーマンやスレフォークト、カッシーラー自身を含む約40人が分離派を去った。
1914
- 4月、リーバーマンを名誉会長、ベックマンやバルラハ、レームブルック、スレフォークトらを役員として、ベルリンのクアフュルステンダム208番地の展示館で第1回展を開いた。
1917
- 7月から9月まで第3回展を開き、目録の序文で名誉会長リーバーマンの70歳を祝った。
1918
- ヴィルヘルム・トリューブナーとゲッツ・フォン・ゼッケンドルフの追悼展を開いた。
1921
- 大ベルリン美術展に独立した部門を持ち、100人を超える会員が出品した。
1923
- ベルリンのギャラリー・ルッツで最後の展覧会を開いた。
1924
- 1923年の展覧会を最後に、この年に解散した。
関連人物
- 名誉会長 マックス・リーバーマン 1914〜
ベルリン分離派の創立者で初代会長。1913年に分離派を去った
- 名誉会員 パウル・カッシーラー 1914〜
画商。ベルリン分離派の会長を退けられ、1913年に分離派を去った
- 役員 マックス・ベックマン 1914〜
第1回展をあいさつで開いた
- 役員 エルンスト・バルラハ 1914〜
彫刻家
- 役員 ヴィルヘルム・レームブルック 1914〜
1917年にも役員を務めた
- 役員 マックス・スレフォークト 1914〜
ドイツ印象派の画家。1913年にベルリン分離派を去った
- オスカー・ココシュカ 1914〜
1914年にベルリン分離派から分かれた芸術家団体。その年に会員となった。
- 会員 ケーテ・コルヴィッツ
画家・版画家・彫刻家
