主義・運動
ロシア構成主義
ろしあこうせいしゅぎ
ロシア構成主義(ろしあこうせいしゅぎ)は、1910年代から1920年代にかけてロシア・ソ連で展開した芸術運動で、狭い意味で「構成主義」といえばこの運動を指す。タトリンが鉄板や木片で作ったレリーフを「構成」と呼んだのが始まりとされ、1921年にはモスクワの芸術文化研究所(インフク)でロトチェンコやアレクセイ・ガンらが構成主義者の作業グループを作った。伝統的な絵画や彫刻を退けて金属やガラスなど工業の素材で空間を組み立て、デザイン・舞台美術・写真・建築に広がった。1922年にベルリンのロシア美術展で西欧に伝わってバウハウスなど国際的な構成主義を生んだが、ソ連では1930年代に社会主義リアリズムに取って代わられた。
出典: コトバンク「構成主義」(デジタル大辞泉・日本大百科全書(村田宏)・改訂新版 世界大百科事典(宮島久雄)・百科事典マイペディア・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、2026-10-12 取得) https://kotobank.jp/word/構成主義-62451、藤田千彩「構成主義」artscape アートワード(2024-03-11 更新、2026-10-12 取得) https://artscape.jp/artword/5895/、河村彩「インフク」artscape アートワード(2024-03-11 更新、2026-10-12 取得) https://artscape.jp/artword/5627/、『ロシア・アヴァンギャルド百科』オンライン版「Инхук」(М・Б・ミハイロワ、В・И・ラキーチン、2026-10-12 取得) https://rusavangard.ru/online/history/inkhuk/
年表・沿革
1915
- 12月、ペトログラードの「最後の未来派絵画展 0,10」で、タトリンが無対象の立体「コーナー・反レリーフ」を発表した。
1920
- 3月、モスクワに芸術文化研究所(インフク)ができ、のちに構成主義をめぐる議論の拠点になった。
- 11月、タトリンの《第三インターナショナル記念塔》の模型がペトログラードで公開され、12月にはモスクワでも展示された。
1921
- インフクで、ロトチェンコ、ステパーノワ、アレクセイ・ガン、ステンベルグ兄弟らが構成主義者の作業グループを作った。
- 9月から10月、モスクワでエクステル、ポポーワ、ロトチェンコ、ステパーノワ、ヴェスニンの5人が「5×5=25」展を開き、ロトチェンコは単色の画布3点で「絵画の終わり」を示した。
1922
- 1月、メドゥネツキーとステンベルグ兄弟が展覧会「構成主義者」を開き、この年アレクセイ・ガンの著書『構成主義』がトヴェリで出た。
- 10月、ベルリンのファン・ディーメン画廊で「第1回ロシア美術展」が開かれ、構成主義が西欧に伝わった。
1932
- 党の決定「文学・芸術団体の改組について」によって、構成主義を含むロシア・アヴァンギャルドは全面的な後退を強いられた。
関連人物
- 彫刻家 ナウム・ガボ 1917〜
1917年に兄ペヴスナーとロシアに帰って運動に加わり、1920年に兄と「リアリスト宣言」を出した。生産を重んじる流れに同意せず、1922年にベルリンへ移った
- 彫刻家 アントワーヌ・ペヴスナー 1917〜
ガボの兄。1920年にガボと「リアリスト宣言」を出し、1923年にパリへ移った
- 理論家 アレクセイ・ガン 1921〜
インフクで構成主義者の第一作業グループを作った一人で、1922年に著書『構成主義』を出した
- 作業グループの会員 ワルワーラ・ステパーノワ 1921〜
ロトチェンコの妻。1921年の「5×5=25」展に出品し、幾何学的な形の布地や衣装をデザインした
- 画家・デザイナー リュボーフィ・ポポーワ 1921〜
1921年の「5×5=25」展に出品し、メイエルホリドの舞台の装置や、布地・衣装のデザインを手がけた
- 画家・建築家 アレクサンドル・ヴェスニン 1921〜
1921年の「5×5=25」展に出品した。兄弟とともに構成主義の建築を進め、ギンズブルグらと現代建築家協会(OSA)を作った
- 作業グループの会員 コンスタンチン・メドゥネツキー 1921〜
1922年1月、ステンベルグ兄弟と展覧会「構成主義者」を開いた。「構成主義」の語はこの3人の造語とする見方がある
- 理論家 オシップ・ブリーク 1921〜
1921年秋にインフクの代表になり、芸術を生産に移す生産主義を進めた
- アレクサンドル・ロトチェンコ 1921〜
革命後に構成主義の運動に加わり、1921年にインフクで構成主義者の作業グループを作った一人で、グラフィック・デザインや写真でも構成主義的な作品を手がけた。
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のちに構成主義の祖とみなされ、ラキーチンは芸術的構成主義の創始者とする。本人は構成主義者を名のらず、運動の多くの考えに反対し、1920年代初めの構成主義のどの分派にも加わらなかった。
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シュプレマティスムから出発して1919年から「プロウン」を発表し、構成主義的なタイポグラフィーや展示のデザインを手がけて、西ヨーロッパにも構成主義を広めた。
