
ウラジーミル・タトリン
ウラジーミル・タトリンは、高さ400メートルの塔に、1年で1回転する会議場を収めようとした。建たなかった第三インターナショナル記念塔や反レリーフ、羽ばたき飛行機レタトリンで知られる、ロシア・アヴァンギャルドの画家・造形家だ。
1885年、モスクワに生まれた。ハリコフ生まれとする典拠もある。
ハリコフで育ち、十代で家を出ると、見習い水夫としてオデッサからブルガリアやトルコへ渡った。1905〜1910年にはペンザの美術学校で学んだ。
1910年に知り合った画家ミハイル・ラリオーノフを、のちに「わが師」と呼んでいる。翌年のSailorとFish Sellerには、港町で働く人々を描いた。
1914年、ベルリンのロシア手工芸品展に、ウクライナの民族楽器バンドゥーラを弾いて歌う奏者として参加した。そこから短くパリへ行き、パブロ・ピカソのアトリエを訪ねた。盲目のバンドゥーラ弾きを装って入り込んだという話も伝わる。
同年5月、モスクワの工房で、木やブリキ、紙、ガラスを組んだ絵画的レリーフを発表した。やがてレリーフは壁の隅に張り渡され、空間に浮かぶ反レリーフになった。構成主義の祖とみなされるタトリンだが、本人はどの分派にも加わらず、「イズム」を退けた。
1920年夏、ベルリンのダダの見本市で、ジョージ・グロスとジョン・ハートフィールドは「芸術は死んだ。タトリンの新しい機械芸術万歳」と書いた札を掲げた。
同年11月、タトリンはペトログラードで第三インターナショナル記念塔の高さ約5メートルの模型を公開した。トロツキーはこれをビール瓶にたとえた。塔は建たず、模型も失われたが、1968年以降、ストックホルムやパリ、モスクワで再現されている。
1925〜27年はキエフ、1927〜30年はモスクワのヴフテインで教えた。1929〜32年には助手たちと、エンジンを持たない一人乗りの羽ばたき飛行機レタトリンを3機作った。
レタトリンは飛ばなかった。「ロシア・アヴァンギャルド百科」の編者ワシーリー・ラキーチンは、この機体を「アヴァンギャルドの時代の芸術的理想主義の最後の行為」と評した。
1930年代には絵に戻り、Meat(1947年)に見られる独自の画風を築いた。舞台美術も続けたが、1948年には形式主義と批判された。
1953年、モスクワで没した。スターリンの死後の「雪どけ」まで、旧ソ連ではほとんど忘れられた存在だった。
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