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主義・運動

新古典主義

しんこてんしゅぎ

新古典主義(しんこてんしゅぎ)は、18世紀半ばから19世紀前半にかけてヨーロッパに広まった美術の運動。ヘルクラネウムやポンペイの発掘で古代への関心が高まるなか、ロココの華やかな装飾趣味への反発から、古代ギリシア・ローマの美術を手本に、明快な輪郭と均整のとれた構図による厳しく明晰な表現を求めた。理論ではギリシア美術を最高の規範とするヴィンケルマンの美学が強い影響を与え、絵画ではダヴィッドとアングル、彫刻ではカノーヴァが代表とされる。19世紀には個性を重んじるロマン主義と対立しながら、アカデミズムと結んでサロン(官展)の美学となった。

出典: コトバンク「新古典主義」(デジタル大辞泉・精選版 日本国語大辞典・改訂新版 世界大百科事典(杉本俊多・高階秀爾)・百科事典マイペディア・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典、2026-10-12 取得) https://kotobank.jp/word/新古典主義-172883、コトバンク「古典主義」(日本大百科全書(野村太郎)、2026-10-12 取得) https://kotobank.jp/word/古典主義-65450、テート「Neoclassicism」(Art Terms、2026-10-12 取得) https://www.tate.org.uk/art/art-terms/n/neoclassicism、ja.wikipedia「新古典主義」(2026-03-15 版、2026-10-12 取得) https://ja.wikipedia.org/wiki/新古典主義、en.wikipedia「Neoclassicism」(2026-09-17 版、2026-10-12 取得) https://en.wikipedia.org/wiki/Neoclassicism

年表・沿革

  1. 1748

    • ポンペイの発掘が始まり、1730年代に始まっていたヘルクラネウムの発掘とともに、古代への関心を大きく高めた。
  2. 1755

    • ヴィンケルマンが『ギリシア美術模倣論』を出して一躍知られ、古典美術を規範とするその姿勢が新古典主義の潮流を導いた。
  3. 1761

    • メングスがローマのヴィラ・アルバーニに天井画《パルナッソス》を描き、友人のヴィンケルマンは彼を当代随一の画家とたたえた。
  4. 1764

    • ヴィンケルマンが主著『古代美術史』を出し、文献にとらわれず作品そのものに即して古代美術の様式の歩みを説いた。
  5. 1785

    • ダヴィッドがローマで仕上げた《ホラティウス兄弟の誓い》をパリのサロンに出して大評判をとり、この絵はロココとの断絶を画す新古典主義絵画の記念碑となった。
  6. 1787

    • カノーヴァがローマのサンティ・アポストリ聖堂に教皇クレメンス14世の墓廟を作り、彫刻でもバロックから新古典主義への転換を画した。
  7. 1824

    • サロンでアングルの《ルイ13世の誓い》が称えられ、同じサロンに《キオス島の虐殺》を出したドラクロワとともに、以後二人は新古典主義とロマン主義の旗手として画壇を二分するライバルと見なされた。

関連人物

  • 美術史家・考古学者
    ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマン 1755〜

    ドイツの美術史家。『ギリシア美術模倣論』(1755年)と『古代美術史』(1764年)を著し、古代ギリシア美術の本質を「高貴な単純さと静謐な偉大さ」として美の最高の規範とし、新古典主義に精神的な土台を与えた

  • 建築家
    ジャック=ジェルマン・スフロ 1755〜

    ローマ滞在中に新古典主義の影響を受け、1755年からパリのサント・ジュヌヴィエーヴ聖堂(いまのパンテオン)を手がけて、フランスの新古典主義建築を生み出した

  • 画家
    ジョゼフ=マリー・ヴィアン 1760〜

    ダヴィッドの師。1760年代から新古典主義を唱え、ロココの情調と古典主義の橋渡しをした

  • 批評家・理論家
    カトルメール・ド・カンシー 1776〜

    ヴィンケルマンの美学を受け継いだフランスの理論家。1776〜80年にローマに住み、ローマ滞在中のダヴィッドは彼との交友を通じて古代芸術の構築性と古典的主題の偉大さに目覚めた。カノーヴァとも親しかった

  • 彫刻家
    アントニオ・カノーヴァ 1781〜

    1781年からローマでヴィンケルマンやメングスの新古典主義の理論にふれ、トルバルセンと並ぶ新古典主義の代表的な彫刻家となった

  • 画家
    アンヌ=ルイ・ジロデ=トリオゾン 1785〜

    1785年にダヴィッドのアトリエに入った。《オシアン》などロマン主義的な主題も描いたが、整った新古典主義の様式を離れず、ダヴィッド以後の新古典主義を支えた

  • 彫刻家
    ベルテル・トルバルセン 1797〜

    デンマーク出身。1797年からローマに住み、カノーヴァに刺激されて新古典主義に向かい、カノーヴァと並ぶ代表的な彫刻家となった

  • 1785年のサロンに出したホラティウス兄弟の誓いで、まだ新古典主義とは呼ばれていなかった新しい画派の旗頭とみなされ、新古典派を率いることになった。翌1786年のローマ賞の競技は、候補が全員ダヴィッドの弟子だったために取りやめになったとされる。デジタル大辞泉は「新古典主義の代表者」とする。一方でルーヴル美術館(2025年)は、「新古典主義」という形容は彼の着想を抽象的な形式主義に狭めるとも書く。

  • ダヴィッドの弟子。その真の後継者として古典主義の絵画を完成させ、19世紀後半まで新古典主義の中心にいた。1824年のサロン以後、ロマン主義のドラクロワと対立する新古典主義の旗手と見なされたが、ロマン派的な主題や要素も持つ。

  • ローマでヴィンケルマンと親交を結び、古典主義的な作風で同時代の古典主義の風潮を率いた一人。代表作はヴィラ・アルバーニの天井画パルナッソス(1761年)。

  • ロイヤル・アカデミーの初代会長として古典の巨匠に学ぶ「グランド・マナー」を説き、テートはイギリスの新古典主義の画家に挙げる(ロココ期のイギリスの画家とする典拠もある)。

  • 初期の作で、ナポレオン失脚後に亡命したベルギーで1827年まで新古典主義の作品を作り、1831年からロマン主義の作風に移った。

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