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ジャック=ルイ・ダヴィッド

ジャック=ルイ・ダヴィッド

Jacques-Louis David
15 作品

ルイ16世の注文でホラティウス兄弟の誓いを描いたジャック=ルイ・ダヴィッドは、のちに国王の死刑に賛成票を投じた。フランス新古典主義を率いた画家で、革命期にはマラーの死を、ナポレオンの首席画家としてはナポレオンの戴冠式を描いた。

1748年8月30日、パリに生まれた。父は鉄の卸商で、ダヴィッドが9歳のときに世を去った。建築家のおじに教育を託されたが、本人は画家を望んだ。遠い親戚のフランソワ・ブーシェの紹介で、ジョゼフ=マリー・ヴィアンに入門した。

ローマ賞の1等は、1771年から3年続けて逃している。1772年には結果を不当だと感じ、食を断って命を絶とうとした。1774年にようやく受賞し、ローマへ渡って1780年まで学んだ。イタリア絵画の堅固な造形と力強い陰影を身につけ、ロココの軽妙な画風から離れていった。

1784年に再びローマへ赴き、ホラティウス兄弟の誓いを描いて、1785年のサロンに出した。古代風の英雄の道徳を主題とし、色彩より形と線を重んじたこの絵で、新しい画派の旗頭とみなされた。1787年にはソクラテスの死を描いた。

革命が始まると、議場でも活動した。1792年に国民公会議員となり、翌年には王立アカデミーの廃止を後押しした。保安委員会では尋問部会を率いた。

暗殺された議員マラーを描いたマラーの死は、国民公会の議場に掛けられた。ロベスピエールが倒れると、1794年と1795年の2度投獄された。

獄中で構想したサビニの女たちでは、父と夫の戦いを止めに入る女性を描いた。フランス人に和解を呼びかけた絵と読まれている。1799年からルーヴルの一室で、大きな鏡の前に掛け、入場料を取って公開した。

1797年末、凱旋したボナパルトに会い、自分の英雄だと語った。のちにサン=ベルナール峠を越えるボナパルトを描き、1804年にはナポレオンの首席画家となった。ナポレオンの戴冠式には約190人を描き込んだ。

1816年、国王の死刑に賛成し、百日天下で帝国憲法の付加法に署名した者として、追放の対象となった。適用を外す申し出を断ってブリュッセルへ移った。ルイ18世の赦免の申し出も拒み、1825年12月29日に同地で没した。

工房からはグロ、ジロデ、ジェラール、ジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルらが育った。没後200年の2025年、ルーヴル美術館は回顧展を開いた。

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