嘉永の末(1850年代の初め)の江戸では、歌川芳艶と歌川国輝が競って描いた刺青の下絵が「芳艶の児雷也、国輝の狐忠信」ともてはやされた。芳艶は「武者絵の国芳」とうたわれた歌川国芳の門人で、自身も武者絵を得意とした。浅草奥山の生き人形の看板絵や、髪結床に掛ける長暖簾でも知られる。 文政5年(1822年)、江戸の本町二丁目で「十ノ字」と呼ばれた駕籠屋に生まれた。
1857・木版多色刷/大判三枚続
1863・木版多色刷/大判
1863・木版多色刷/大判三枚続
1861・木版多色刷
1861