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死絵 三代目歌川豊国
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豊原国周豊原国周

死絵 三代目歌川豊国

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豊原国周は、元治元年12月15日(1865年1月12日)に没した師の歌川国貞(三代目歌川豊国)を悼んでこの死絵を描いた。追善の歌「似顔画をかきたる人もにかほゑにかゝれて世にも残りをしさよ」は、似顔の名手自身が似顔に描かれて世に残る、その名残惜しさを詠んでいる。

死絵は訃報と追善のために売られた浮世絵で、主に歌舞伎役者を扱った。浮世絵師の死絵はほとんど門弟が描き、この絵にも「門人 一鶯斎國周謹筆」とある。略伝と悼みの文は、戯作者の仮名垣魯文が求めに応じて書いた。国貞の辞世「一向に弥陀へまかせし気の安さ 只何事も南無阿弥陀仏」も摺られている。

画中では「二代目」とあるが、国貞は先に二代目を襲名した同門の豊重(二代目歌川豊国)を数えずに名乗っており、今は三代目と呼ばれる。弘化2年(1845年)に剃髪して肖造と改名し、文久3年(1863年)に国周が描いた生前の肖像も剃髪の姿だった。

ジャンル
和・アジアン
作品種別
版画
技法
木版多色刷/大判二枚続
制作年(画)
1865
作品サイズ
36.4 × 49.5 cm

作家プロフィール

豊原国周
豊原国周

「明治の写楽」と呼ばれた男は、生涯に八十回以上引っ越し、女房を四十人替えたと嘯いた。豊原国周(1835〜1900)——幕末から明治にかけて、役者絵といえばこの人だった。三代豊国の門で役者似顔を仕込まれ、明治の劇場が江戸の芝居小屋から近代の「歌舞伎座」へ変わっていく時代を、大判三枚続の舞台絵で伴走した。 真骨頂は九代目市川團十郎である。

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