
豊原国周
とよはら くにちかToyohara Kunichika
103 作品
「明治の写楽」と呼ばれた男は、生涯に八十回以上引っ越し、女房を四十人替えたと嘯いた。豊原国周(1835〜1900)——幕末から明治にかけて、役者絵といえばこの人だった。三代豊国の門で役者似顔を仕込まれ、明治の劇場が江戸の芝居小屋から近代の「歌舞伎座」へ変わっていく時代を、大判三枚続の舞台絵で伴走した。
真骨頂は九代目市川團十郎である。《鏡獅子》をはじめ、団菊左時代の名優たちの当たり役を、国周は大首絵から全身像まで数千枚に写した。役者の顔の癖を誇張してでも「その役者にしか見えない」似顔に仕立てる腕は、師系の誰よりも写楽に近い。
浮世絵が写真と石版に食われていく最中も、国周は錦絵の役者絵だけを描き続けた。放蕩と借金と引越しの逸話に事欠かない生涯は、そのまま「絵師」という職業の最後の世代の生態記録である。明治33年(1900年)没。
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103件








































































































