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二代目歌川豊国

二代目歌川豊国

にだいめ うたがわ とよくにUtagawa Toyokuni II
7 作品

二代目歌川豊国は、歌川豊国の養子となり、師の名を継いだ浮世絵師である。美人画や役者絵のほか、富士・鎌倉・江嶋などの名所に雪や雨、月や鐘の音を取り合わせた8枚のシリーズ「名勝八景」を残した。

名は源蔵。文政の初めごろに初代豊国へ入門し、はじめは国重、のちに豊重と名乗った。文政7年(1824年)以前には師の養子となっており、「豊国伜豊重」と署名した作品もある。文政8年(1825年)に師が没すると、豊国の名を継いだ。

この襲名には、同門から異議が出た。『名人忌辰録』は「同門不承知」と伝え、『狂歌人名辞書』には、物議のため再び国重の名に戻ったとある。文政11年(1828年)ごろには本郷春木町に住んでいた。のちに豊国を名乗った国貞と区別するため、「本郷豊国」とも呼ばれるようになった。

一枚物の浮世絵だけでなく、合巻と呼ばれる絵入りの読み物にも挿絵を描いた。曲亭馬琴の『傾城水滸伝』では、初編の挿絵を担当している。

「名勝八景」は天保のころ、出版元の伊勢屋利兵衛から出された。題にある名勝八景 富士暮雪の「暮雪」や名勝八景 大山夜雨の「夜雨」は、中国の山水画の画題「瀟湘八景」に挙げられる八つの景と同じ言葉である。

天保5年(1834年)ごろを境に、作品が見られなくなる。『名人忌辰録』によれば、襲名を同門に認められなかったため絵師を廃業し、本郷三丁目で陶器商を営んだという。同書には、天保6年(1835年)11月1日に59歳で没したとある。生年は、この享年から逆算した安永6年(1777年)とする本と、享和2年(1802年)とする本がある。

没後の弘化元年(1844年)、兄弟子の歌川国貞(三代目歌川豊国)が豊国を襲名した。本来は三代目にあたるが、二代目豊国の存在を無視し、自らは「二代豊国」と称した。それでも今日、国貞は三代豊国と呼ばれている。初代、豊重、国貞はいずれも「豊国」と署名する。豊重の作品を見分ける手がかりの一つは、杯の形に似た「豊」の字である。

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