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歌川国明(二代)

歌川国明(二代)

うたがわくにあき(にだい)Utagawa Kuniaki II
4 作品

明治10年(1877年)の内国勧業博覧会には、二代歌川国明が描いた相撲絵の三枚続が出品された。国明は幕末から明治に活動した浮世絵師で、生来の相撲好きと伝わり、力士の姿を数多く描いた。博覧会に出品したのは、両国吉川町の出版元・松木平吉だった。

天保6年(1835年)10月に生まれ、弘化4年(1847年)に歌川国貞(三代目歌川豊国)の門に入った。兄の初代歌川国明も、同じ師に学んでいる。

兄弟の作品は、必ずしもはっきり分けられるわけではない。万延・文久ごろの横浜絵には、どちらが描いたか見分けにくいものがある。樋口弘の「幕末明治の浮世絵師集成」でも、その作者を「疑問として置く」としている。

文久元年(1861年)刊の当形客初夢双六も、作者の世代を決めにくい作品だ。国立国会図書館の書誌では、作者名は「歌川国明」とだけ記されている。一方、浮世絵文献を集めた加藤好夫の双六年表では、二代の仕事に数えられている。

本姓は平沢で、のちに蜂須賀氏を継いだ。明治に入ると蜂須賀国明と名のり、《弓取之図》や芝公園地丸山御遊覧之図にもその名を残した。幕末の作品には兄弟の区別が難しいものがあるが、明治の署名からは二代の仕事をたどれる。

相撲絵のほか、西南戦争を題材にした錦絵も描いた。明治11年(1878年)1月には、出版元の紅英堂から出た「鹿児島実戦記」の1〜7号で、表紙と挿絵を手がけている。

明治18年(1885年)には、洪水で千住大橋と吾妻橋が落ちた出来事も絵にしている。

同年刊の「東京高名鑑」には、月岡芳年や河鍋暁斎らと並んで蜂須賀国明の名が載る。明治21年(1888年)7月29日に没し、「浮世絵師伝」はその年齢を54歳と伝えている。

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