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月岡耕漁

月岡耕漁

つきおか こうぎょTsukioka Kogyo
18 作品

月岡耕漁(1869〜1927)は、日本で初めて能の舞台を専門に描いた画家とされる。義父は浮世絵師の月岡芳年で、大黒屋(松木平吉)から出した能の木版画の連作が代表作となった。

東京・日本橋の旅籠屋に生まれ、本名は羽生弁之助。12歳から、横浜で輸出品を扱う伯父のもとで陶器の絵付けを学んだ。母の泰は明治17年(1884年)に芳年と結婚した。弁之助は明治20年(1887年)に芳年に入門し、師の名から一字を取って「年久」と号した。

明治22年(1889年)ごろには尾形月耕に学び、「耕漁」の号を受けた。松本楓湖にも師事している。月岡の姓を継いだのは明治の末で、それまでは母方の坂巻姓を使っていた。能楽図絵の1図にも「坂巻」の署名が残る。

明治30〜35年(1897〜1902年)に出た能楽図絵は、能と狂言などを収めた261図の連作である。右の余白に曲名・配役・筋、左下に印刷と発行の日付をそれぞれ刷っている。版元の大黒屋を率いた5代目松木平吉は、相撲絵と耕漁の能の絵を多く出した。

耕漁は大正3年(1914年)の文章「能と能画」に、最初に見た能は梅若実が演じる「石橋」だったと書いた。能楽図絵を作る際には、流派ごとの違いに苦労したという。「鉢木」は絵を見れば流派が分かる曲だとも述べている。

大正11〜15年(1922〜1926年)の能楽百番では、100曲を120枚に描き、毎月3枚ずつ封筒に入れて頒布した。関東大震災の影響で、大正12年(1923年)9月から翌年8月までは刊行が途切れている。

能楽百番では、能楽図絵にあった舞台の建物や配役・筋の説明を省いた。主役を縦長の画面に大きく描く構図は、耕漁以後の能画の定型になったとされる。

肉筆の能画には、明治39年(1906年)の謡曲竹雪がある。明治41年(1908年)の文展には、庄内の黒川能を描いた絵を出した。雑誌『風俗画報』にも約20年にわたって挿絵を描いている。

昭和2年(1927年)、宇都宮での能舞台開きの帰りに倒れ、2月25日に没した。大黒屋の狂言五十番で耕漁が署名したのは最初の16図で、残りは長女の月岡玉瀞が描いた。精美書院の能画大鑑は、第1巻が没後の昭和5年(1930年)に出て、その多くを弟子の松野奏風が描いている。墓は芳年と同じ、新宿の専福寺にある。

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