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河鍋暁翠

河鍋暁翠

かわなべ きょうすいKawanabe Kyosui
6 作品

絵師河鍋暁斎の作品を鑑定する人として、昭和9年(1934年)の名鑑に名を載せた女性がいる。暁斎の長女で、日本画家の河鍋暁翠だ。美人画や能の絵を描き、女子美術学校(いまの女子美術大学)では初の女性の日本画科教授を務めた。

明治元年(1868年)、東京の本郷に生まれた。父は狩野派に学び、独自の画派を開いた絵師である。暁斎は娘に数え5歳のころから絵を教え、《柿に鳩の図》を手本として渡した。明治17年(1884年)には、暁翠の絵が内国絵画共進会に入選している。父の薦めで、住吉派の大和絵を受け継ぐ日本画家・山名貫義にも学び、着色の腕を磨いた。

明治22年(1889年)、暁斎が世を去る。同じ年、暁翠は「暁翠女」と署名した錦絵《毘沙門天寅狩之図》を出した。干支を題にした福神の錦絵は卯・辰・巳と毎年続き、4点目が巳年の福神遊である。

明治27年(1894年)には、フランスの出版社が出し、東京で木版摺りした『ラ・フォンテーヌ寓話選』に、岡倉秋水らと挿絵を寄せた。ラ・フォンテーヌ寓話選 烏と狐などには、本名の「とよ」にちなむ「豊翠」の落款が残る。謡を習い、能や狂言を熱心に見ていた暁翠は、明治32年(1899年)に『能楽図絵』も描いた。

明治35年(1902年)に女子美術学校の教授となったが、明治41年(1908年)にはすでに職を辞し、家で依頼に応じて絵を描いていた。その年の人物録『成功名家列伝』は、暁翠の得意を美人画とし、東京の名人と記す。お多福の顔をした女たちと子どもを百人近く描いた百福図も残る。黒い盆に石と砂で景色をつくる盆石を、遠山流で弟子に教えたことも記録されている。

父の作品の鑑定家として名鑑に載った翌年、昭和10年(1935年)に没した。文学博士の藤懸静也は1946年の『浮世絵』で、暁翠は父の画風を学び「一時世に知られた」と記す。孫で河鍋暁斎記念美術館の館長を務める河鍋楠美も、暁翠が父の陰に隠れがちだったと述べている。

2021年、暁翠を主人公にした澤田瞳子の小説『星落ちて、なお』が直木賞を受け、暁翠は思いがけない形で多くの人に知られることになった。翌年、一宮市三岸節子記念美術館で、画業の全体を紹介する初めての展覧会が開かれた。

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