
吉原治良
よしはら じろうJiro Yoshihara
0 作品
「これは誰かの絵の真似だ」。憧れていた藤田嗣治に自作を見せた青年は、独自性のなさを突かれて言葉を失った。大阪の油問屋・吉原家の跡取りで、家業の吉原製油(のちのJ-オイルミルズ)を背負いながら絵筆を握った吉原治良(1905〜1972)。この一言が、彼を幾何学的な抽象へと押しやる。戦前から二科会に出品し、1938年には「九室会」を立ち上げて抽象絵画を推し進めた。
そして1954年、関西の若い作家たちを糾合して「具体美術協会」を結成する。号令はただひとつ、「人の真似をするな、これまでにないものをつくれ」。会長の吉原の前で、白髪一雄は天井から吊ったロープにぶら下がり、足で絵具を蹴り描き、泥のなかを泳いで体そのものを作品にした。田中敦子は色電球と配線を身にまとった《電気服》をともし、村上三郎は張った紙を体当たりで突き破った。絵画を、物質と行為の起こる出来事へと解き放つ実験を、吉原はきびしく導いた。
フランスの批評家ミシェル・タピエが具体に目を留め、1960年には共同で作品を空へ掲げる「インターナショナル・スカイ・フェスティバル」を催す。1962年、中之島の土蔵を改装したギャラリー「グタイピナコテカ」を、会員の発表と海外への発信の拠点に開いた。
吉原自身は晩年、黒い地に白い円を一息に描く連作へ沈んでいく。にじみ、かすれ、そして二度と引き直せない一筆の張り。書のような余白と抽象表現主義がまじり合う。1972年2月、クモ膜下出血で世を去り、その年の三月、具体もまた解散した。
吉原治良の作品をお持ちですか?
Cugiraで出品してみませんか?
作品が見つかりません
