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勝川春章

勝川春章

かつかわ しゅんしょうKatsukawa Shunsho
321 Artworks

かつての役者絵は、名前や紋所を見なければ誰か分からないほど、顔が型通りに描かれていた。江戸中期の浮世絵師・勝川春章は、一筆斎文調とともに一人ひとりの顔を描き分ける似顔絵を生み出し、肉筆の美人画でも名を上げた。門下からは葛飾北斎が出ている。

春章は宮川春水に絵を学び、画姓を宮川から勝宮川、さらに勝川へと改めた。

明和7年(1770年)には、文調との合作による「絵本舞台扇」が出た。役者の半身像を扇形の枠に収めたこの絵本は、役者絵の革新を告げる記念碑的な作例とされる。春章が手がけた役者絵の版画は1000点を超すといわれ、相撲絵でも人気を得た。

代表的なシリーズ「東扇」は、切り抜いて本物の扇子に仕立てられる役者絵だった。紙には折り筋まで凹凸で摺られ、屏風や襖に貼って飾ることもできた。

安永5年(1776年)には、美人画でも知られる北尾重政と絵本「青楼美人合姿鏡」を合作した。出版には蔦屋重三郎や山崎金兵衛らが携わった。

版画から肉筆画へ制作の重心を移したのは、安永年間の中ごろ以降と考えられている。辞典では享保11年(1726年)生まれとされるが、近年の研究で寛保3年(1743年)生まれがほぼ確かになった。肉筆画に力を注ぎ始めたのは、30歳代後半だったことになる。

天明年間の初め以降は、肉筆の美人風俗画を中心に描いた。重要文化財の《婦女風俗十二ヶ月図》と、文人・大田南畝の賛がある遊女と燕図は、平戸藩主の松浦静山が愛蔵した。

大和郡山藩の隠居・柳沢信鴻の日記にも、春章の名が残る。天明7年(1787年)と寛政元年(1789年)の記事には、襖絵の作者として登場する。

春章の絵は「春章一幅値千金」とも評された。蘇軾の詩の一節「春宵一刻値千金」の「春宵」を、同じ「しゅんしょう」と読む名に置き換えた言葉と読める。春章は寛政4年12月8日(1793年1月19日)に没した。

門人の勝川春好は師と同じ壺形の印を使い、「小壺」とも呼ばれた。春好や勝川春英は、役者の顔に近づいた大判の半身像、大首絵の形式を生み出し、その先に東洲斎写楽が現れる。

北斎が春章の門に入ったのは安永7年(1778年)だった。翌年には師の号「旭朗井」から「朗」の字をもらい、勝川春朗と名のった。

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