
勝川春好
かつかわ しゅんこうKatsukawa Shunko
11 Artworks
版下に小さな壺形の印が捺されている。師の大きな印の脇に、ちんまりと寄り添うその印から、勝川春好(1743〜1812)は「小壺(こつぼ)」と呼ばれた。本姓を清川、通称を伝次郎という。明和のころ勝川春章の門をくぐり、一門でも最古参の高弟として、やがて師の後継者と目された絵師である。
春好が世に残した最大の仕事は、役者の顔を画面いっぱいに据える「大首絵」——さらに寄って描いた「大顔絵」の創始にある。天明八年(1788)ごろから寛政のはじめにかけて、団扇や背景の設えを削ぎ落とし、無地の地に半身、あるいは顔そのものだけを大きく引き寄せる。眼差しの据わり、口もとの張り、化粧の下の血の気までが間近に迫るこの様式は、五代目市川團十郎の暫に一つの頂点を見た。数年後に彗星のように現れる東洲斎写楽の大首絵は、この春好の試みを引き継いだものだと説く研究者も少なくない。
作の中心は縦長の細判による役者絵で、ほかに相撲絵や黄表紙の挿絵にも筆を伸ばした。師の様式を最も忠実に受け継いだ一人でありながら、顔へと肉薄する画面設計において、春好は師を一歩踏み越えている。
四十五を過ぎたころ中風を患い、利き手の右が動かなくなった。以後は錦絵の版下から退き、左手に筆を持ち替えて肉筆画に専念、「左筆斎」と号したと伝わる。享年七十。
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