団体
国画会
こくがかい
国画会(こくがかい)は、1928年(昭和3年)に国画創作協会の日本画の第一部が解散したとき、梅原龍三郎・川島理一郎らの洋画を中心とする第二部が名を改めて独立した美術団体。展覧会は国画創作協会の通称「国展」と回数を受け継ぎ、1929年に東京府美術館で第4回展として開いた。草創期には、福島繁太郎の影響もあって、マティスやルオー、ピカソら海外の作家の作品を毎年のように特別に陳列した。のちに版画部と写真部を設け、今は絵画・版画・彫刻・工芸・写真の5部で、毎年春に公募展の国展を開いている。
出典: コトバンク「国画会」(デジタル大辞泉・精選版 日本国語大辞典・マイペディア・日本大百科全書(佐伯英里子)・ブリタニカ国際大百科事典、2026-10-11 取得) https://kotobank.jp/word/国画会-63735、国展(国画会)公式サイト「国展とは」(2026-10-11 取得) https://kokuten.com/whatis、国展(国画会)公式サイト「国画会展覧会略史」(2026-10-11 取得) https://kokuten.com/history
年表・沿革
1928
- 7月30日、国画創作協会の解散式で梅原龍三郎が国画会創立の声明書を発表し、洋画などの第二部が国画会として独立した。
1929
- 東京府美術館で、国画会として最初の展覧会を、国画創作協会の第二部からの回数を継いで第4回展として開いた。
1931
- 前年、平塚運一を会員に推して設けた版画部が、第6回展から絵画と分かれて独立した。
1939
- 2月に福原信三・野島康三を同人として写真部を設け、7月には彫刻部の同人がそろって退会して彫刻部がなくなった。
1947
- 前年12月に富本憲吉が退会して工芸部が解散し、この年1月、柳宗悦・濱田庄司・芹沢銈介らが新しい工芸部を設けた。
1963
- 10月、彫刻部をあらためて設けた。
2007
- 国展の会場を東京都美術館から国立新美術館に移した。
2026
- 4月29日から5月11日まで、国立新美術館で100回記念国展を開いた。
関連人物
- 創立会員 川島理一郎 1928〜
梅原龍三郎とともに国画創作協会の洋画部を立ち上げた洋画家。1935年に退会した
- 会員 椿貞雄 1928〜
岸田劉生に師事した洋画家。国画会の発足のとき、河野通勢・高村光太郎とともに新会員として紹介された
- 会員 河野通勢 1928〜
草土社や春陽会を経て加わった洋画家
- 彫刻部の会員 金子九平次 1928〜
ブールデルに師事した彫刻家。1933年に退会した
- 写真部の同人 福原信三 1939〜
写真家で、資生堂の初代社長。1925年に国画創作協会の評議員に迎えられた
- 写真部の同人 野島康三 1939〜
写真家。油絵を国画創作協会に出品して会友となり、1954年に客員に推された
- 会友(1949年から会員) 斎藤清 1946〜
1937年の第12回展の版画部門に初入選し、没年まで出品を続けた。1946年の第20回展で会友に、1949年に会員になった。
- 新しい工芸部の創設、のち客員 柳宗悦 1947〜
民芸運動を起こした思想家。1954年に客員に推された
- 客員 福島繁太郎 1954〜
パリで作品を集めた収集家・画商。自らのコレクションのルノワールやセザンヌ、ルオーなどを国展の特別陳列に出した
