富士を描き続けた日本画家・横山大観の名を広めたのは、恩師の苦境を重ねた《屈原》だった。1898年、恩師で東京美術学校の校長だった岡倉天心が辞任を命じられ、大観も学校を去る。天心を中心に日本美術院ができると、大観は中傷を受けて朝廷を去った中国の詩人を描き、その最初の展覧会に出した。
1912・絹本着色/八幅のうち一幅
1929
1917
1897
1931・紙本彩色/六曲一双屏風
1944・紙本彩色/掛幅
1897・絹本着色/掛幅
1931・紙本彩色/六曲一双屏風のうち右隻