13歳の少年が描いた雪景色の山水を、新聞は「実に後世恐るべし」と評した。少年はのちに、横山大観・菱田春草と日本美術院を代表する画家となる下村観山である。重要文化財の屏風《弱法師》をはじめ、能の世界にも根ざした作品を描いた。 明治6年(1873年)、紀州徳川家に代々小鼓で仕えた能楽師の家に生まれる。幕府と藩の世が終わって家禄を失うと、一家は東京へ移った。
1916・絹本着色/六曲一双屏風のうち左隻
1912–1926・絹本着色/軸装
1912–1926
1914・紙本着色/二曲一双屏風のうち右隻
1914・紙本着色/二曲一双屏風のうち左隻
1915・絹本金地着色/六曲一双屏風のうち左隻
1913
1910・紙本墨画/掛幅