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下村観山魔障
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「魔障」とは、仏道の修行をさまたげるものをいう。この掛軸では、釈迦如来の前にいる僧に去来する煩悩を、十二支の動物になぞらえている。観山は《鳥獣戯画》を参考に、墨の線だけで描く白描画を試みた。
明治43年(1910年)、文部省の美術展覧会(文展)の第4回に出品すると評判を呼んだ。斎藤隆三の『日本美術院史』は、悪鬼や怪異が跳ね回るさまを軽妙な筆で写し、世をあげて「鳥羽僧正の再生」とたたえたと書く。同書は木の間の秋大原御幸とともに、五浦で描いた観山の三大傑作に数えている。
観山の回想では、天心は描き始めを見ただけでアメリカへ発ち、完成作も展覧会も見ていなかった。のちに横浜の実業家・原三溪の所蔵となって表装され、原の家で観山と一緒に見たとき、天心は「アノ魔に十二支をあしらつたのは面白い」と評した。観山は「私としては殆ど偶然の功名であつた」と振り返っている。









