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歌川国芳東都東叡山の図
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東叡山は上野の寛永寺の山号で、京の比叡山にならい「東の比叡山」の意味でつけられた。江戸時代の寛永寺は飛鳥山と並ぶ桜の名所で、庶民の行楽地だった。この一枚は大判三枚続の右図で、題の短冊「東都東叡山の図」はこの枚にある。続く中図と左図にも女性が一人ずつ描かれ、三枚で花見の一行になる。
落款は瓢箪形の枠に「一勇斎国芳画」とあり、下に桐の印を捺す。落款の右には名主の改印が二つ並ぶ。国芳の作品を集成する目録(Kuniyoshi Project)はこれを村松・吉村の二印と読み、弘化3年から嘉永元年(1846〜48年)の刊と見ている。足もとの版元印は「若宇」で、同目録は版元を若狭屋宇兵衛としている。









