呉春の名は、池田の古名「呉服(くれは)の里」と、そこで迎えた春に由来する。江戸時代の京都で四条派を開いた画家で、俳諧と絵の師である与謝蕪村の詩情に、円山応挙の写生を取り入れた。 宝暦2年(1752年)、京都で金座の年寄役を務める家に長男として生まれた。金座は幕府の金貨を造る所で、呉春も平役を務めた。絵はまず大西酔月に、ついで俳諧と絵を蕪村に学んだ。
1783–1784・絹本淡彩/掛幅
1790–1795・紙本着色/六曲一双屏風のうち右隻
1789–1791・絹本墨画淡彩/六曲一双屏風のうち右隻
1780–1811・紙本着色/六曲一双屏風
1782–1786・紙本着色/掛幅