期間限定 手数料割引中 出品者3% 購入者1%
百鬼夜行之図
CC0
河鍋暁斎河鍋暁斎

百鬼夜行之図

この作品をお持ちですか? 出品する →
0

河鍋暁斎が「狂斎」と名乗っていた頃に描いた、長さ約9.7メートルの百鬼夜行の絵巻である。巻頭に「百鬼夜行之図」の題と「惺々狂斎」の署名がある。この号を使い始めたのは安政5年(1858年)頃だった。明治3年(1870年)、書画会で酔って描いた戯画が政府の要人を風刺したと密告され、3か月拘留された。放免後、号の「狂」の字を「暁」に改めた。

百鬼夜行は、深夜に鬼や妖怪の群れが列をなして歩くという話で、平安時代から説話に現れる。出遭うと死ぬといわれ、朝日が昇ると鬼が逃げる話が多い。室町時代には絵巻にも描かれるようになり、大徳寺真珠庵に伝わる絵巻(真珠庵本)など、全国で60以上の諸本が確かめられている。

画像で見られるのは巻頭だけで、続く妖怪や行列の結末は分からない。暁斎は明治に入ってからも、六曲一双の屏風に百鬼夜行を描いた。没後4か月にあたる明治22年(1889年)8月には、骸骨や鬼の群れを描いた木版の画本暁斎百鬼画談が出版された。

作品種別
絵画
技法
紙本着色/巻子
制作年
1865
作品サイズ
30 × 965.5 cm

作家プロフィール

河鍋暁斎
河鍋暁斎

明治の東京で、筆の速さと引き出しの多さで暁斎に並ぶ絵師はいなかった。河鍋暁斎(1831〜1889)は下総古河に生まれ、数え七歳で歌川国芳の門を叩く。神田川で拾った生首を写生して周囲を仰天させた少年の逸話は、この絵師の本質——見たものは何でも描く——へ真っ直ぐつながっている。十歳で駿河台狩野派に移ると、師の前村洞和は彼を「画鬼」と呼んだ。

プロフィールを見る

この作品が語られた記事

河鍋暁斎の他の作品