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谷文晁

谷文晁

たにぶんちょうTani Bunchō
8 作品

江戸・木挽町に生まれた文晁は、幼いころから絵筆を持たされた子だった。父の谷麓谷は田安家に仕える学者で、家には漢籍と書画が転がっていたという。狩野派の加藤文麗に学び、次いで南画系の渡辺玄対に師事したが、そこで律儀に一派を守るような性分ではなかった。狩野の骨法も、円山応挙ゆかりの写実も、南画の墨味も、目に入るものはみな取り込んでしまう。若いころ長崎に出て中国絵画や西洋の陰影法にも触れ、遠近感や立体の表し方を自分の画面に持ち帰った器用さは当時際立っていた。

人生の転機は老中・松平定信との出会いだった。定信の伊豆・相模海岸巡視に随行し、写生をもとに仕上げたのが《公余探勝図巻》。海岸線や岩、船の描写は単なる記録を超えて、旅の空気そのものを紙の上に留めている。この仕事で文晁の名は江戸画壇に轟いた。以後は全国の名山を描いた《日本名山図会》のような仕事も手がけ、山水、花鳥、人物、肖像とジャンルを選ばず筆を動かし続けた。

私塾には多くの弟子が出入りし、なかでも渡辺崋山は文晁のもとで学んで独自の写実を育てた。文晁自身は生涯、様式に縛られることを嫌い、江戸の南画に折衷と実証の目を持ち込んだ画家として記憶されている。器用貧乏と評されることもあるが、その懐の深さこそが江戸後期画壇の空気を大きく動かした。

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