
高村光雲
たかむらこううんTakamura Kōun
2 作品
彫るというより、木の中に眠っているものを起こしてやる。光雲の猿や老爺の像を見ていると、そんな言葉が浮かんでくる。江戸下谷の生まれ、幼くして仏師・高村東雲のもとに弟子入りし、仏像を彫る手の技を叩き込まれた。ところが明治という時代は仏師の仕事を根こそぎ奪っていく。廃仏毀釈で寺は仏像を求めなくなり、象牙彫刻ばかりがもてはやされた不景気のなか、木彫りの職人たちは次々と廃業していった。光雲もまた食い詰めかけた一人だったが、彼はそこで西洋の彫刻写真に出会い、衝撃を受ける。仏師の様式化された表現ではなく、生きた動物や人間の筋肉や毛並みをそのまま写し取る目。伝統の寄木造りの技術はそのままに、写生の精神を注ぎ込むという、誰もやっていなかった道を選んだ。その到達点が明治26年、シカゴ万国博覧会に出品された《老猿》である。鷲を捕まえ損ねて片手に一本の羽根だけを握りしめた老猿が、悔しさに顔をゆがめている——木の塊からこれほどの感情が立ち上がることに、当時の人々は驚いた。上野公園に立つ西郷隆盛像の制作にも参加し、犬を連れた着流し姿の等身大の像は今も市民に親しまれている。東京美術学校(現・東京藝術大学)の教授として後進を育て、伝統の木彫を近代彫刻として立て直した功績は大きい。息子の高村光太郎は父の工房で育ちながら、のちに西洋彫刻とロダンの衝撃を受け、詩人としても彫刻家としても全く異なる道を歩んだが、その出発点にはいつも光雲の仕事場の匂いがあった。
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