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ピエロ・デラ・フランチェスカ

ピエロ・デラ・フランチェスカ

Piero della Francesca
13 作品

ピエロ・デラ・フランチェスカは15世紀イタリアの画家で、数学の論文も書いた。アレッツォの聖十字架伝説では、人の顔や体を球や円筒の形で捉え、壁画に記念碑のような重みを与えている。

トスカーナの山間の町サンセポルクロに生まれた。生年には諸説があり、修業の詳しい経緯も分かっていない。1439年にはフィレンツェで、画家ドメニコ・ヴェネツィアーノの助手として礼拝堂の壁画に携わった。各地の有力者から仕事を受けながらも、生涯のかなりの部分を郷里とその周辺で過ごしている。

最大の仕事となる聖十字架伝説は、病に倒れた画家から引き継いだものだった。1452年からアレッツォのサン・フランチェスコ聖堂で描き、1466年までに仕上げた。キリストの十字架となる木をめぐる長い物語を、年代順には並べていない。左右の壁で向き合う場面が釣り合うように配した。物語を語る壁そのものを、一つの空間として計算したとも読める。

晩年はウルビーノ公フェデリコ・ダ・モンテフェルトロの庇護を受け、ブレラ祭壇画などを描いた。論文「絵画の遠近法について」も、この公に献じている。ロンドンのナショナル・ギャラリーの解説では、遠近法の論文を書いた最初の画家とされる。ほかにも「算術論」「五つの正多面体について」を残し、数学の仕事の多くは、のちに数学者ルカ・パチョーリの著作に取り込まれた。視力が衰えた後も論文を書き続け、1492年、サンセポルクロの自宅で没した。

生前は絵よりも遠近法の理論家として知られ、画家としての評価が高まったのは近代になってからだった。1858年には英国のオースティン・ヘンリー・レヤードが第一級の画家とたたえた。1860年代に鉄道がアレッツォへ通じると、英国の画家たちが壁画を見に訪れた。1861年にはナショナル・ギャラリーがキリストの洗礼を購入し、ピエロへの関心を呼び起こした。1913年には美術史家ロベルト・ロンギも論じている。

サンセポルクロの市庁舎に描かれたキリストの復活には、戦争中の逸話が残る。作家オルダス・ハクスリーは、1925年の随筆でこの壁画を「世界でいちばん偉大な絵」と呼んだ。第二次世界大戦中、この随筆を読んでいた英国の砲兵将校トニー・クラークは、命令に背いて町への砲撃を止めさせた。町も壁画も残った。

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