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奥村政信

奥村政信

おくむら まさのぶOkumura Masanobu
13 作品

奥村政信は、自作の浮世絵に「浮絵根元」と刷り込み、本家を名乗った江戸の絵師である。遠近法で奥行きを見せる浮絵や、縦に長い柱絵を手がけ、自ら出版元も営んだ。絵を描くことと、それを商品として売ることが、政信の仕事ではつながっていた。

貞享3年(1686年)、江戸に生まれた。特定の流派に属した記録はなく、独学の絵師とみられる。先輩の浮世絵師、菱川師宣や鳥居清信の画風をまねるところから出発した。確かめられる最初の作品は、元禄14年(1701年)の遊女の絵本「娼妓画牒」。前年に出た清信の絵本を写したものだった。

享保年間の中ごろには、日本橋の通塩町で絵草紙問屋の奥村屋を営んでいた。店の商標は赤い瓢箪で、刷った作品にも瓢箪の印を入れた。絵師の名と、絵を売る店の目印が一枚の紙に載っていた。

政信が長く筆を執るあいだに、浮世絵は墨一色から色を得ていった。墨摺絵、丹絵、紅絵、漆絵、紅摺絵をすべて経験している。墨に膠を混ぜて漆のような光沢を出す漆絵は、政信の創案とされる。紅や緑などを色版で重ねる紅摺絵も手がけた。代表作には遊女張果郎や、江戸・京・大坂の遊女を一図に描いた《遊色三福つい》が挙げられる。

紙の形や組み合わせにも工夫を重ねた。西洋画の透視遠近法を使う浮絵、極端に縦長の柱絵、細長い三枚を横に並べる三幅対を手がけた。浮絵を始めた人として語られてきたが、最初の作例をどれとするかには異なる見方がある。

新しい絵が人気を得ると、すぐにまねされた。政信は「浮絵根元」「はしらゑ根元」と刷り込み、本家であることを示した。落款に「正名」「正筆」と書き添えたものもある。政信の絵が流行し、偽版が多く出回ったためと考えられている。冒頭の名乗りは、絵を売る者どうしの競争のなかにあった。

美人画では、京都の絵師、西川祐信の画風を慕い、俳諧の情趣を含む風俗画を得意とした。その画風は、後輩の浮世絵師である石川豊信や鈴木春信に大きな影響を与えた。元禄の頃から約60年にわたり筆を執り、錦絵が生まれる直前の宝暦14年(1764年)に世を去った。

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