尾
尾形乾山
おがたけんざんOgata Kenzan
6 作品
京都の呉服商・雁金屋に生まれた乾山は、そもそも器を作るために育った人間ではなかった。若い頃から禅と漢詩、そして書に親しみ、御室の仁和寺門前に構えた習静堂に隠棲して悠々自適の暮らしを送っていた学究肌の三男坊である。転機になったのは、当代随一の陶工野々村仁清に弟子入りして焼き物の技を学んだことだった。三十代で窯を構えた鳴滝が都の乾(北西)の方角にあったことから、以後「乾山」を名乗るようになる。
乾山の器の面白さは、絵付けを兄の尾形光琳に託した合作にある。乾山が形と釉薬を、光琳が意匠を受け持つという分業で、角皿や向付に大胆な梅や芦、四季の草花が走り書きのように配される。和歌や漢詩をそのまま器面に散らし書きする趣向も乾山の発明で、これによって「見る器」「読む器」という新しいジャンルが生まれた。仁清の緻密な色絵とはまるで違う、余白を活かした奔放な筆致は、後の琳派の造形感覚をそのまま陶芸に持ち込んだと言っていい。
代表作に《色絵定家詠十二カ月和歌花鳥図角皿》銹絵観鴎図角皿などがあり、いずれも器そのものが一幅の絵のように扱われている。晩年は江戸入谷に移り、佐野(現・栃木県)での窯業指導から江戸に戻ったのちも、七十代八十代になってなお筆を執り続けた。京の雅を携えたまま江戸で没した乾山の仕事は、量産的な工芸とは対極にある、一点ごとに書画と陶芸を横断する自由な精神の記録として残っている。
尾形乾山の作品をお持ちですか?
Cugiraで出品してみませんか?
6件










