京都の呉服商・雁金屋に生まれた乾山は、そもそも器を作るために育った人間ではなかった。若い頃から禅と漢詩、そして書に親しみ、御室の仁和寺門前に構えた習静堂に隠棲して悠々自適の暮らしを送っていた学究肌の三男坊である。転機になったのは、当代随一の陶工野々村仁清に弟子入りして焼き物の技を学んだことだった。
1710
1743・紙本着色/掛幅
1700–1743・京焼