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北尾重政

北尾重政

きたお しげまさKitao Shigemasa
115 作品

肉筆画を残すことの少なかった絵師がいる。北尾重政(1739〜1820)——江戸小伝馬町の書肆・須原屋三郎兵衛の長男として生まれ、書物と版木の匂いのなかで育ったこの浮世絵師は、生涯を通じて一枚ものの絵絹より版本の世界に軸足を置きつづけた。高名な絵師なら幾度も所望されたはずの肉筆が手元にわずかしか伝わらないのは、彼が印刷という媒体そのものを愛したためだと言われる。書物屋に生まれた者が、書物のなかで生きた——その一貫性が、この絵師の輪郭をかたちづくっている。

特定の師に就かず、独学で腕を磨いた。紅摺絵の艶やかさは鳥居清満の役者絵から、上方の柔らかな美人像は西川祐信の絵本から、そして細身で可憐な目鼻立ちは当代を席巻していた鈴木春信の様式から——重政は器用にそれらを吸収し、自らの絵に溶かしていった。初期の鍵屋お仙では茶屋の看板娘を雛人形のように華奢な顔立ちで描いたが、やがて《東西南北之美人》の仲町の芸者像に至ると、雛の面影は消え、現実味を帯びた成熟した女の肉付きへと移ってゆく。美人画にとどまらず役者絵、武者絵、草双紙の挿絵まで筆を選ばぬ多才さは、書肆の血の産物だったのかもしれない。

版元・蔦屋重三郎との長い結びつきが、重政の画業を豊かにした。蔦重の記念すべき最初の刊行物《一目千本》(安永3年・1774年)は、吉原の実在の遊女を花に見立てた評判記で、遊女の名に添えて生け花のごとく花々を配した趣向が評判を呼んだ。そして安永5年(1776年)、向かいに住む親友勝川春章と組んで生んだのが多色摺の豪華絵本青楼美人合姿鏡である。吉原の名妓たちを、書をしたため、楽器を奏で、茶の湯をたしなむ日常の所作のうちにとらえ、遊里を単なる色里ではなく教養と芸事の場として写し出した。巻末には遊女自身の発句が収められ、絵と文芸が一冊に溶け合う——俳諧と書に秀でた重政ならではの構えである。晩年の摘み草図では、春の野に山菜を摘む女たちの楽し気なしぐさを、力を抜いた筆でいつくしむように描いた。

門下は豊かに育った。のちに戯作者山東京伝として名を成す北尾政演、幕府御用絵師にまで昇りつめる北尾政美、狂歌絵本に才を発揮した窪俊満——彼らを世に送り出した重政は、北尾派の祖として浮世絵史に位置づけられる。勝川春章、鳥居清長と並び称された安永・天明期の江戸において、書物のなかに絵を生かしつづけたこの絵師の仕事は、後世の錦絵と読本の橋渡しとして静かに残った。

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