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菊川英山

菊川英山

きくかわ えいざんKikukawa Eizan
10 作品

喜多川歌麿が文化三年(1806)に世を去ると、その典雅な美人画をだれが継ぐのかという空白が江戸に生じた。細身で憂いを含んだ女性像を最も長く、最も多く、そして最も美しく描き継いだのが菊川英山(1787〜1867)である。文化・文政期の錦絵界にあって、彼は役者絵の劇性にも風景の叙景にも流れず、ただ「人のかたち」だけを画面の主役に据えつづけた。

江戸市ヶ谷、造花を家業とする商家に生まれ、本名を俊信という。絵の手ほどきは狩野派を学んだ父・菊川英二から受け、のちに四条派の鈴木南嶺に師事した。さらに幼馴染の魚屋北渓を介して葛飾北斎一門の画風に触れ、狩野・四条・北斎という異なる水脈を一身に取り込む。左利きであったと伝わり、当時の日本では珍しいその癖が、線のどこかに独特のためらいと繊細さを残したという見方もある。

享和期には役者絵から出発したが、英山を英山たらしめたのは美人画だった。大錦の縦二枚続という縦長の画面を用い、繊細な描線と抑えた色調のなかに、全身の立ち姿をすらりと収める。歌麿ゆずりの叙情と気品を保ったその様式は、歌川国貞らの土臭い写実とは対照的で、古典的な浮世絵美人画の最後の輝きとも評される。役者絵における歌川豊国と並べて語られるゆえんである。

文政の末には版画から離れ、次第に肉筆画へと軸足を移していった。門下からは渓斎英泉をはじめ多くの絵師が育ち、英山は菊川派の祖となる。晩年は上州藤岡の呉服商児玉屋に身を寄せ、81歳で筆を置いた。歌麿の残響を最も遠くまで運んだ絵師として、その名は錦絵の黄昏に静かに刻まれている。

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