
浅井忠
あさい ちゅうAsai Chu
10 作品
下総佐倉藩の藩士の家に生まれ、少年時代は藩校で漢学と武術を学んだ。絵を志したのは十代の終わり頃、洋画家・国沢新九郎の画塾で基礎を叩き込まれてからで、上京後は工部美術学校に入り、お雇い教師アントニオ・フォンタネージの指導を受けた。フォンタネージが早々に帰国してしまい教育方針も混乱するなか、浅井は同窓の小山正太郎らと明治美術会を結成し、写実を軸とした洋画の地歩を築こうと奔走する。
代表作収穫(1890年)は、房総の農村で刈り入れをする農夫たちを描いた一作で、光を追いかけた印象派的な華やかさとは一線を画す、地に足のついた重厚な写実がにじむ。フランスのミレーやバルビゾン派への傾倒がよく指摘されるが、実際に渡仏したのは1900年、パリ万博の視察を兼ねてのことで、グレー=シュル=ロワンに滞在して現地の農村風景を写生した。帰国後に描いたグレーの秋などには、その土地の光と空気が静かに定着している。
東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科の初代主任教授として、黒田清輝らの外光派が主流になっていく時代にあってなお、素描を基礎に置く手堅い写実指導を貫いた。晩年は病を得て京都に移り、関西美術院を設立して後進の指導にあたる。ここで学んだ安井曾太郎や梅原龍三郎らが、後に日本近代洋画を牽引していくことになる。図案家としての顔も持ち、京都高等工芸学校で図案・工芸意匠の教育にも力を注いだ。1907年、京都で客死。享年51。
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