伊東深水(1898〜1972)は、大正から昭和にかけて女性を描き続けた日本画家である。師の鏑木清方、同じく美人画で知られた上村松園とともに、近代を代表する美人画家といわれる。
大正11年(1922)3月、東京府が開いた平和記念東京博覧会の美術展に、深水は《指》を出品した。描かれた女性が見つめているのは結婚指輪で、モデルは3年前に結婚した妻の好子だった。《指》は二等賞の銀牌を受け、会期中は絵の前から人だかりが絶えなかったという。
深水が女性を描いた場は、展覧会だけではない。筆で直接描く一点ものの日本画(肉筆画)のほかに、職人の手を通して何百枚も摺る木版画でも、深水は女性を描いた。
印刷工場の少年
深水は明治31年(1898)、東京の深川に生まれた。本名を伊東一(はじめ)という。父の事業が失敗し、家は極度に貧しかった。
明治41年(1908)、11歳の深水は東京印刷という会社の工場に、活字を扱う職工として入った。昼は働き、夜は夜学に通い、夜中に絵を描く毎日だったという。
明治44年(1911)の春、13歳の深水は日本画家の鏑木清方に入門した。
入門の翌年、深水は日ごろ目にする労働者の父娘を描いた《のどか》で、初めて展覧会に入選する。のちに美人画家と呼ばれる深水だが、初めのころは、労働者や物乞い、新聞配達といった人々も描いていた。
大正3年(1914)、深水は新聞や雑誌の挿絵の仕事を始め、印刷会社を辞めた。
渡邊庄三郎と《対鏡》
郷土会は、清方の門下生たちが作った会である。大正5年(1916)6月、その第2回展を、版画の出版元である渡邊庄三郎が訪れた。
浮世絵の出版元は「版元」と呼ばれ、売れる絵を企画して、絵師・彫師・摺師に仕事を割り振った。庄三郎はこの分業と彫り・摺りの技術を使って、同時代の画家に新しい木版画を描かせようとしていた。これが新版画である。
庄三郎は、郷土会展で18歳の深水が描いた肉筆画《みつめる女》を見て、良い木版画になると考えた。清方の承諾を得て深水に話を持ちかけ、同じ年の7月にできたのが、深水の最初の版画《対鏡》だった。
摺りには手間がかけられた。女性がまとう長襦袢の紅は、植物から採った本紅を何度も摺り重ねて厚みを出した。背景には、紙をこする道具である馬連(ばれん)の跡を、わざと残している。
《対鏡》は、はじめ海外向けに作られ、「The Scarlet Lady」という英題が付けられた。深水はこのあと、庄三郎が戦後に亡くなるまで組み続けた。二人で作った新版画は130点を超えるという。
大正6年から7年(1917〜18)にかけては、琵琶湖のまわりの名所を描いた木版画《近江八景》の8図を出した。大正7年の郷土会展でこれを見て、版画に興味を持ったのが、同じ清方門下の川瀬巴水である。
美人画の版画も続いた。大正11年から12年(1922〜23)には12図の《新美人十二姿》を出した。《初夏の浴》はその一つで、大正11年の春の作である。
昭和4年から11年(1929〜36)にかけては、12図ずつ2集の版画集『現代美人集』も出している。昭和7年(1932)の《吹雪》は、その第2集の一図である。
《指》と《湯気》
大正8年(1919)2月、深水は好子と結婚した。
冒頭の《指》に続いて、大正13年(1924)には、やはり好子をモデルにした《湯気》を郷土会の展覧会に出した。色白でふくよかな新妻を情感豊かに描いたこの2点は、大評判になった。のちに「深水式美人画」と呼ばれる画風は、この2点で方向づけられたといわれる。
昭和に入ると、深水は国が開く美術展覧会、帝展で重きをなしていく。昭和2年(1927)、第8回帝展の《羽子の音》で特選を受けた。図は、そのときの絵葉書に刷られたものである。
同じ年に自分の画塾を開き、昭和5年に朗峯画塾と名を改めている。昭和4年の《秋晴れ》は特選の首席となり、昭和8年(1933)には帝展の審査員を務めた。
素描は普段着の姿
深水は素描に熱心だった。鉛筆で描いたものが最も多いようで、水墨やコンテのものも残る。描いたのは女性だけではない。男性も、旅先の風景も、花や木も、虫や魚も、写生の相手だった。
2006年、三重県立美術館で深水展が開かれた。その鑑賞ガイドで、毛利伊知郎が深水の素描を論じている。人に見せることを前提にした本画が画家の「よそ行きの姿」なら、素描は「普段着姿」だという。毛利は、素描を見れば次のことが分かると書く。
深水にとってデッサンは呼吸と同じように、生きている限り不断に続けられる重要な行為であったこと、美人画家伊東深水という一般的な認識が一面的なものであることがわかります。
南方の写生と、戦後の《鏡》
昭和14年(1939)12月、深水は同じ清方門下の山川秀峰とともに、人物画の発展をめざす青衿会を結成した。
昭和18年(1943)4月から4か月ほど、深水は海軍の報道班員として東南アジアに派遣された。そこで描いたスケッチは、四百数十点にのぼる。帰国した年の9月には、スケッチの展覧会を開いた。
昭和20年(1945)3月、深水は長野県の小諸に疎開し、昭和24年8月までそこで暮らした。昭和23年には、信濃の風景を描いた木版画《信濃十景》を出している。《軽井沢の早春》は、その一図である。
昭和22年(1947)の第3回日展に出した《鏡》は、昭和22年度の日本芸術院賞に選ばれた。大正5年の版画《対鏡》とは別の作品で、現代の風俗を描くことの多い深水には珍しく、古典に取材した主題だった。
昭和27年(1952)の第8回日展には、少女たちの群像《夢多き頃》を出した。足立美術館の作品解説には「独自の群像形式を確立した記念碑的な作品」とある。
同じ年、深水は国の文化財保護委員会が進めた、木版画の技術を保存する事業で、美人画《髪》を描いた。同じ事業で風景画を描いたのは、巴水だった。
病床の花
昭和33年(1958)、深水は日本芸術院の会員になった。それからの数年で、ヨーロッパ、南米、インドネシアを旅し、旅先のスケッチをもとに作品を描いている。
晩年に慶應病院に入院してからも、深水は写生をやめなかった。見舞いに贈られた蘭や菊も写生している。
昭和47年(1972)3月2日、師の鏑木清方が93歳で世を去った。その2か月後の5月8日、深水も入院先の病院で亡くなった。74歳だった。
出典
- 『日本美術年鑑』昭和48年版(東京文化財研究所)の伊東深水の物故者記事と作品年譜、美術界年史
- 三重県立美術館「艶麗な線の画家 伊東深水の世界」展の鑑賞ガイド(略年譜、各章の解説)、2006年
- 毛利伊知郎「伊東深水の素描」(同上の鑑賞ガイド)
- 高崎市タワー美術館「伊東深水展」の紹介記事、2016年
- 小金井市立はけの森美術館「南方より、伊東深水から」の紹介記事、2017年
- 足立美術館の作品解説
- メトロポリタン美術館と島根県立美術館の《対鏡》の作品解説
- 横浜美術館とミネアポリス美術館の版画の記録
- 千葉市美術館「新版画 進化系UKIYO-Eの美」展の出品目録、2022年
- 美術展ナビ「新版画-もうひとつの浮世絵」(渡邊木版画舗協力)、2025年
- 大田区立郷土博物館の川瀬巴水コラム
- 小山周子「新版画と伝統」『東京都江戸東京博物館紀要』2013年
- コトバンク所収の各事典
注
- 図版の作品画像は、ミネアポリス美術館・福岡市美術館・足立美術館の所蔵品による。名都美術館所蔵の《湯気》は京都府立堂本印象美術館の展覧会(2025年)の報道発表による。《羽子の音》は第8回帝展の絵葉書(たましん地域文化財団蔵、CC BY 4.0)による。いずれも著作権者の許諾を得て掲載した。
- 毛利伊知郎の言葉は三重県立美術館の鑑賞ガイドから、《夢多き頃》の言葉は足立美術館の作品解説から引いた。
- 深水の生年には、実際は明治29年2月の生まれだという説がある。
- 《鏡》を《対鏡》と書く事典もあるが、同時代の記録に従った。
- 新版画の成り立ちは「新版画とは何か――絵師・彫師・摺師で作る大正・昭和の木版画」で、巴水の生涯は「川瀬巴水――日本各地の風景を木版画に残した「旅情詩人」」で扱っている。
図版
- 伊東深水《対鏡》 — 著作権者の許諾による掲載(2026-10-08、オーナーが遺族から許可を得た) / ミネアポリス美術館 2002.161.205。著作権者の許諾を得て掲載出典
- 伊東深水《近江八景の内 瀬田の唐橋》 — 著作権者の許諾による掲載(2026-10-08、オーナーが遺族から許可を得た) / ミネアポリス美術館 2002.161.17.5。著作権者の許諾を得て掲載出典
- 伊東深水《新美人十二姿 初夏の浴》 — 著作権者の許諾による掲載(2026-10-08、オーナーが遺族から許可を得た) / ミネアポリス美術館 74.1.291。著作権者の許諾を得て掲載出典
- 伊東深水《現代美人集 吹雪》 — 著作権者の許諾による掲載(2026-10-08、オーナーが遺族から許可を得た) / ミネアポリス美術館 2002.161.161。著作権者の許諾を得て掲載出典
- 伊東深水《湯気》 — 著作権者の許諾による掲載(2026-10-08、オーナーが遺族から許可を得た) / 名都美術館蔵。画像は京都府立堂本印象美術館「伊東深水 時代の美、つややかに」展(2025)の報道発表による。著作権者の許諾を得て掲載出典
- 伊東深水《羽子の音》 — 絵葉書の画像は CC BY 4.0(たましん地域文化財団)。作品は著作権者の許諾による掲載 / 第8回帝展(1927)出品。画像は当時の絵葉書(美術巧芸会発行、たましん地域文化財団蔵、CC BY 4.0)から絵の部分を切り出した。著作権者の許諾を得て掲載出典
- 伊東深水《信濃十景 軽井沢の早春》 — 著作権者の許諾による掲載(2026-10-08、オーナーが遺族から許可を得た) / ミネアポリス美術館 2002.161.172。著作権者の許諾を得て掲載出典
- 伊東深水《夢多き頃》 — 著作権者の許諾による掲載(2026-10-08、オーナーが遺族から許可を得た) / 足立美術館蔵。画像は同館の所蔵作品紹介による。著作権者の許諾を得て掲載出典
- 伊東深水《髪》 — 著作権者の許諾による掲載(2026-10-08、オーナーが遺族から許可を得た) / ミネアポリス美術館 2017.145.4。著作権者の許諾を得て掲載出典
この記事に出てくる作家

伊東深水
Itō Shinsui
1898–1972

鏑木清方
Kaburaki Kiyokata
1878–1972

上村松園
Uemura Shōen
1875–1949

川瀬巴水
Hasui Kawase
1883–1957

山川秀峰
Yamakawa Shūhō
1898–1944
