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流派

勝川派

かつかわは

勝川派(かつかわは)は、江戸時代中期の浮世絵師・勝川春章を祖とする浮世絵の流派。源流は宮川長春の宮川派で、長春の門人の宮川春水が画姓を勝川と改め、その門から春章が出た。春章は一筆斎文調とともに、役者一人ひとりの顔を描き分ける似顔絵を開き、一門は写実的な役者絵や相撲絵、半身像の大首絵で明和から寛政期(1764〜1801年)の役者絵界を風靡した。宮川派から肉筆画の伝統も引き継ぎ、門下から勝川春好・勝川春英・勝川春潮や、春朗と名のったのちの葛飾北斎が出た。

出典: コトバンク「勝川派」(デジタル大辞泉・精選版 日本国語大辞典・改訂新版 世界大百科事典(小林忠)、2026-10-11 取得) https://kotobank.jp/word/勝川派-464141、コトバンク「宮川長春」(日本大百科全書(小林忠)・改訂新版 世界大百科事典(小林忠)・日本人名大辞典ほか、2026-10-11 取得) https://kotobank.jp/word/宮川長春-16767、コトバンク「勝川春章」(日本大百科全書(永田生慈)・百科事典マイペディア・改訂新版 世界大百科事典(小林忠)ほか、2026-10-11 取得) https://kotobank.jp/word/勝川春章-15670、コトバンク「役者絵」(改訂新版 世界大百科事典(小林忠)ほか、2026-10-11 取得) https://kotobank.jp/word/役者絵-143520

年表・沿革

  1. 1750

    • 宮川長春の一門が日光東照宮修復の画料をめぐって狩野春賀を殺害する事件を起こし、のちに長春の門人の宮川春水は、宮川の画姓をはばかって勝宮川、さらに勝川と名のった。
  2. 1770

    • 春章と一筆斎文調の合作『絵本舞台扇』が出て、役者一人ひとりの顔を描き分ける似顔絵の記念碑的な作例となった。
  3. 1778

    • のちの葛飾北斎が春章の門に入り、翌年、春章の別号「旭朗井」から一字をもらった勝川春朗の名で役者絵を発表した。
  4. 1793

    • 春章が寛政4年12月8日(1793年1月)に没した。
  5. 1794

    • 勝川春朗と名のっていたのちの葛飾北斎が、勝川派を離れた。
  6. 1825

    • 勝川春英の七回忌に、門人たちが向島の長命寺に「勝川春英翁略伝」の碑を建てた。

関連人物

  • 宮川派の祖
    宮川長春

    勝川派の源流となった宮川派を開いた。肉筆画を専門とし、門人に宮川春水らがいる

  • 春章の師
    勝川春水

    宮川春水とも。宮川長春の門人で、1750年の事件ののち、宮川の画姓をはばかって勝宮川、さらに勝川と名のった

  • 春章の門人
    勝川春英

    九徳斎と号した。役者絵や武者絵・相撲絵を得意とし、寛政期に多く出した大首絵は東洲斎写楽や初代歌川豊国に影響を与えた。門人に勝川春亭らがいる

  • 祖

    宮川春水に学び、画姓をはじめ宮川、のちに勝宮川、さらに勝川と改めて、宮川派から勝川派をおこした。門下から春好・春英・春潮・春朗(のちの葛飾北斎)らが出て、浮世絵界に一大派閥を形成した。