版元
西村屋与八
にしむらやよはち
西村屋与八(にしむらや よはち)は、江戸日本橋の馬喰町にあった版元で、堂号は永寿堂。宝暦のころから幕末近くまで3代続き、蔦屋重三郎、鶴屋喜右衛門とともに、天明・寛政期を代表する錦絵の版元だった。鈴木春信・鳥居清長・歌川豊国らの錦絵を多く出し、3代目のときには葛飾北斎の「富嶽三十六景」を世に出した。
出典: コトバンク「西村屋与八」(デジタル版 日本人名大辞典+Plusと、世界大百科事典(旧版)「永寿堂」の言及、2026-10-11 取得) https://kotobank.jp/word/西村屋与八-1384962、コトバンク「冨嶽三十六景」(日本大百科全書(永田生慈)・山川 日本史小辞典 改訂新版・ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ほか、2026-10-11 取得) https://kotobank.jp/word/冨嶽三十六景-734516、ja.wikipedia「西村屋与八」(2026-04-30 版、2026-10-11 取得) https://ja.wikipedia.org/wiki/西村屋与八、Lyon Collection(woodblockprints.org)「Nishimuraya Yohachi (西村屋与八)」(Andreas Marks『Japanese Woodblock Prints: Artists, Publishers and Masterworks 1680-1900』ほかの引用を含む、Wayback Machine 保存版、2026-10-11 取得) https://woodblockprints.org/index.php/Detail/entities/60
年表・沿革
1751
- このころ、鳥居清満らの役者絵を出して、版元を始めた。
1764
- 明和から安永(1764〜81年)にかけて、鈴木春信・一筆斎文調・勝川春章らの錦絵を多く出した。
1776
- このころ、蔦屋重三郎と共同で、礒田湖龍斎の大判の遊女絵の揃物「雛形若菜の初模様」を出し始めた。のち西村屋が単独で出し続け、100図を超える長い揃物になった。
1824
- 『江戸買物独案内』に、経書や医書から草紙・錦絵・絵本まで、多数の商品を扱う店として載った。
1830
- このころから、3代目が葛飾北斎の「富嶽三十六景」を出し始めた。36図の予定に裏富士10図を加えて、全46図で完結した。


