団体
西泠印社
せいれいいんしゃ
西泠印社(せいれいいんしゃ)は、中国浙江省杭州の西湖に浮かぶ孤山のふもとにある、篆刻の学術団体。1904年(光緒30年)に浙派の篆刻家の丁仁・王禔・葉銘・呉隠が始め、1913年の成立大会で呉昌碩を初代社長に推した。「金石を保存し、印学を研究する」ことを旨とし、日本の河井荃廬と長尾雨山も社員に加わって、「天下第一名社」と呼ばれる篆刻の中心になった。その篆刻の技は2006年に中国の国家級無形文化遺産に選ばれ、2009年にユネスコの無形文化遺産に記載された「中国篆刻芸術」でも、この芸を守る団体として名が挙げられている。
出典: コトバンク「西泠印社」(世界の観光地名がわかる事典、2026-10-12 取得) https://kotobank.jp/word/西泠印社-805145、ja.wikipedia「西泠印社」(2026-09-21 版、2026-10-12 取得) https://ja.wikipedia.org/wiki/西泠印社、zh.wikipedia「西泠印社」(2026-08-17 版、2026-10-12 取得) https://zh.wikipedia.org/wiki/西泠印社、中国非物質文化遺産網「金石篆刻(西泠印社)」(2026-10-12 取得) https://www.ihchina.cn/Article/Index/detail?id=20047、陳友望ほか「孤山证印:首任社长吴昌硕与西泠印社」(杭州日報、2026-04-05、2026-10-12 取得) https://hznews.hangzhou.com.cn/wenti/content/2026-04/05/content_9201823.htm、UNESCO「Art of Chinese seal engraving」(人類の無形文化遺産の代表一覧表、2009年記載、2026-10-12 取得) https://ich.unesco.org/en/RL/the-art-of-chinese-seal-engraving-00217
年表・沿革
1904
- 光緒30年、篆刻家の丁仁・王禔・葉銘・呉隠の4人が、杭州の西湖の孤山に土地を求めて仮の本部を置き、会を始めた。
1913
- 成立大会で「西泠印社」の名と規約を定めて呉昌碩を初代社長に推し、日本の河井荃廬と長尾雨山も社員に加わった。
1921
- 後漢の石碑「三老諱字忌日記」が国外へ出されそうになり、呉昌碩らが募金で買い戻して、翌年、孤山に石室を作って納めた。
1937
- 日中戦争で日本軍が杭州を占領し、会は活動を休んだ。
1963
- 創立60周年の催しを開き、張宗祥が社長になった。
1979
- 沙孟海が社長に選ばれ、文化大革命で途絶えていた活動が戻った。
2006
- 「金石篆刻(西泠印社)」が、中国の第1回の国家級無形文化遺産に選ばれた。
2009
- ユネスコの無形文化遺産に「中国篆刻芸術」が記載され、その芸を守る団体として西泠印社の名が挙げられた。
関連人物
- 創立者 丁仁 1904〜
字の輔之で通る。蔵書家の丁松生の従孫で、家は収蔵に富んだ。呉昌碩に社長を頼みに上海へ出向き、1921年には呉昌碩とともに漢三老碑を買い戻す募金を集めた
- 創立者 王禔 1904〜
号の福庵で通る。十数歳で書と篆刻で知られ、孤山に会を作ろうと最初に言い出したと伝わる
- 創立者 葉銘 1904〜
号は葉舟。安徽の徽州の出で、杭州に住んだ篆刻家
- 創立者 呉隠 1904〜
字は石潜。創立の資金集めで最も多く寄付し、1913年に呉昌碩を初代社長に推した。上海で印泥を売る同名の店「西泠印社」も営んだ
- 社員 河井荃廬 1913〜
日本の篆刻家で、中国に渡って呉昌碩に学んだ。長尾雨山とともに日本から加わった
- 社員 長尾雨山 1913〜
漢学者・書家。上海の商務印書館の編集顧問だったときに加わり、1914年に帰国して京都に住んだ
- 初代社長 呉昌碩 1913〜1927
建社10年の1913年に初代社長に推され、1927年に没するまで務めた。日本からも河井荃廬(呉昌碩の門下)と長尾雨山が同人に加わった。
- 第2代社長 馬衡 1948〜
金石学者・篆刻家で、故宮博物院の院長を務めた
- 第3代社長 張宗祥 1963〜
浙江省博物館の名誉館長を務めた
- 第4代社長 沙孟海 1979〜
書家・篆刻家
- 第5代社長 趙樸初 1993〜
政治家・書家で、仏教の学者・指導者でもあった
- 第6代社長 啓功 2002〜
書家・古典文献学者で、2005年に在任のまま没した
- 第7代社長 饒宗頤 2011〜
香港の漢学者・書画家。2018年に没してから、社長は空席が続く
