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中村彝エロシェンコ氏の像
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モデルのワシーリー・エロシェンコは、ロシア生まれの盲目の詩人で、エスペランティストである。4歳で失明し、1914年に来日して東京盲学校で按摩を学んだ。新宿の中村屋に身を寄せ、相馬夫妻の世話になっていた。彝も1911年から中村屋の裏の画室に住んでいた。
描くきっかけを作ったのは、彝の友人の画家・鶴田吾郎である。鶴田は目白駅にひとりで立つエロシェンコを見かけてモデルを頼んだ。画室の無い鶴田が彝に話すと、彝も描きたいと言った。9月6日から彝の画室で二人並んで描き、8日間、午後いっぱい筆を執った。その晩から彝はひどい発熱と下痢に見舞われ、再び床についた。二人の絵は、どちらもこの年の第2回帝展に出た。
同じ年、彝は今村繁三の邸でルノワールの作品を実見し、強い感銘を受けている。この肖像にはその影響が感じられるとされる。翌1921年、エロシェンコは国外追放となった。








