博多の職人町に生まれた冨田溪仙(1879〜1936)は、型を教わっては、その型からはみ出していく画家だった。本名は鎮五郎。はじめ福岡藩の御用絵師衣笠守正(探谷)に就いて狩野派の骨法を仕込まれたが、そこに落ち着かず京へ上り、四条派の都路華香の門を叩く。狩野の骨と四条の情趣――正反対の二つの筋を身につけながら、溪仙はそのどちらにも縛られなかった。
1936
1921
1926
1920