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鍾馗図
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河鍋暁斎河鍋暁斎

鍾馗図

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役人の採用試験に落ちて命を絶った男が、病床の皇帝を救う鬼として夢に現れる。河鍋暁斎は「狂斎」と名乗っていた30歳前後のころ、この鍾馗を木版画にした。唐の玄宗皇帝が病に伏せっていたとき、小鬼を退治した大きな鬼が鍾馗と名乗ったという。目覚めると玄宗の病は治り、描かせた鍾馗の姿は門の魔よけになった。日本では端午の節句の幟や五月人形にもなった。

この版画では鍾馗だけを赤の濃淡で摺り、輪郭にも墨を使わない。疱瘡(天然痘)よけのまじないとして、紅で鍾馗や桃太郎などを描いた赤摺りの錦絵「疱瘡絵」が貼られた。ただし、この図が何のために摺られたのかは分かっていない。

右下には「惺々狂斎洞郁画」と署名がある。「洞郁」は狩野派の師から受けた名で、「惺々狂斎」は戯画で人気を得たころの号だ。明治3年(1870年)、暁斎は酔って描いた戯画がもとで捕らえられ、放免のあと「狂」の字を「暁」に改めた。

ジャンル
和・アジアン
作品種別
版画
技法
木版多色刷
制作年(画)
1860
作品サイズ
38.6 × 25.4 cm

作家プロフィール

河鍋暁斎
河鍋暁斎

明治の東京で、筆の速さと引き出しの多さで暁斎に並ぶ絵師はいなかった。河鍋暁斎(1831〜1889)は下総古河に生まれ、数え七歳で歌川国芳の門を叩く。神田川で拾った生首を写生して周囲を仰天させた少年の逸話は、この絵師の本質——見たものは何でも描く——へ真っ直ぐつながっている。十歳で駿河台狩野派に移ると、師の前村洞和は彼を「画鬼」と呼んだ。

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