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渓斎英泉青楼七軒人 扇屋内花扇
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右上に扇屋の暖簾と扇の紋、「青楼七軒人」の題と「扇屋内 花扇」の名がある。
「青楼七軒人」は吉原の七軒の大見世から花魁を一人ずつ選んだ揃物である。花扇は扇屋の遊女が代々継いだ名で、歌麿の時代から錦絵に描かれた。
英泉の美人画は、猫背で、あごを引き、目を伏せた姿勢が特徴で、妖艶で物憂いと評される。渓斎英泉(1791〜1848)は下級武士の子に生まれ、菊川英山に学んだ。春画は百点を超え、一筆庵の名で戯作も書き、『無名翁随筆』という自伝を残した。《木曽街道六十九次》を最初に手がけたのも英泉で、途中から広重が引き継いだ。この図は天保初年(1830年)頃、版元は泉屋市兵衛(泉市)で、画中に極印がある。天保の改革(1843年)のあと、英泉は版画から離れた。









