
パブリックドメイン(PDM, 国立国会図書館デジタルコレクション)
渓斎英泉岐阻街道 深谷之駅
0
渓斎英泉が描いた中山道の深谷宿で、道を行く4人の女と格子の内で客を待つ女たちは飯盛女である。旅籠で旅人の給仕をし、売春も兼ねた女たちだ。天保14年(1843年)の記録では、深谷宿の旅籠は80軒と、中山道の宿場で最も多かった。
供の提灯にある丸に「竹」の印と、軒の看板の「竹うち」は、出版元・保永堂の主人、竹内孫八の名を使った広告である。保永堂は天保6年(1835年)、英泉を「木曽街道六十九次」の作者に起用した。題の上の赤い印「第十」は、日本橋から数えた図の番号を示す。英泉は最初の11図を続けて描き、計24図で手を引いた。残りは歌川広重が描いた。
この摺りは、68枚を台紙に貼り、帙という覆いに収めた組の1枚である。英泉の署名はなく、題の左下に「保永堂版元」の印がある。早い摺りには「英泉画」の署名と「竹内」の印があったが、のちの摺りでは英泉の名が削られた。理由は分かっていない。この摺りも、名が削られた後のものとみられる。









