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奥州安達がはらひとつ家の図
CC0
月岡芳年月岡芳年

奥州安達がはらひとつ家の図

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安達ヶ原の鬼婆の伝説による。京の公家で乳母をしていた岩手は、5歳になっても口のきけない姫を救いたかった。妊婦の胎児の生き肝が効くという占い師の言葉を信じ、生まれたばかりの娘を残して旅に出る。安達ヶ原の岩屋で長い年月待ち、宿を求めた身重の女を殺した。女が身につけていたお守りは、岩手が都を出るとき娘に残したものだった。岩手は正気を失い、旅人を襲う鬼婆になったという。この図は、吊るした女の下で岩手が包丁を研ぐ場面である。

明治18年(1885年)に出た縦二枚続で、この年の人気番付『東京流行細見記』で芳年は浮世絵師の筆頭に挙げられた。責め絵で知られる伊藤晴雨は、これが写生か想像かを確かめようと、身重の妻を吊るして写真を撮った。そして、想像で描かれたと結論している。

右下の釜形の枠に「画工 月岡米治良」「出版 松井栄吉」とあり、画工の住所は浅草須賀町である。芳年はこの年、浅草須賀町に移っている。

ジャンル
和・アジアン
作品種別
版画
技法
木版多色刷/大判縦二枚続
制作年(画)
1885

作家プロフィール

月岡芳年
月岡芳年

月岡芳年(1839〜1892)は、芝居の残酷な場面を描いて「血みどろ絵師」と呼ばれた浮世絵師である。晩年には、月を題に歴史や物語を描いた「月百姿」や、「新形三十六怪撰」を手がけた。 江戸に生まれ、嘉永3年(1850年)、12歳で歌川国芳に弟子入りした。15歳で最初の挿絵と錦絵を発表する。

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