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土屋光逸新田義貞 生田林の戦に於て小山田高家義貞の身代りとなる
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延元元年(1336年)の湊川の戦いで、足利の大軍に押された新田義貞は、味方を逃がすために自ら最後尾に残った。『太平記』巻十六によれば、義貞の乗る馬は矢を七本受けて膝を折り、四方から射かける矢は雨や雹より激しかった。義貞は源氏重代の太刀、鬼切と鬼丸を両手に抜いて、飛んでくる矢を切り落とした。
遠くの山の上からこれを見た小山田太郎高家は、馬を飛ばして駆けつけ、自分の馬に義貞を乗せて逃がした。高家は徒歩で追っ手を防ぎ、囲まれて討たれた。
松聲堂が明治31年(1898年)から37年にかけて出した「教育歴史画」の第一輯の八で、明治33年5月4日に発行された。月岡芳年の晩年の門人・笠井鳳斎の原図をもとに、土屋光逸が描いた石版画である。光逸は師の小林清親の意向で石版の技術を身につけたが、のちに肋膜炎を患って石版画家の道を断ち、60歳を過ぎてから新版画の風景で世に出た。
- 作品種別
- 版画
- 技法
- 多色石版
- 制作年(画)
- 1900
- 作品サイズ
- 46 × 61 cm









