堺の町で生まれ育ったというだけで、この人の出発点がどれほど厳しいものだったかが分かる。土佐派は本来、宮廷絵所預という由緒ある地位を担ってきた一族だが、光起の代には都を離れ、家格も傾きかけていた。若き光起はまず堺で腕を磨き、のちに京へ上って一族の再興を志す。
紙本着色金彩/六曲屏風
1654–1681・紙本淡彩/六曲一双屏風
1675・絹本金地着色/六曲屏風