絶筆となった《ヒマラヤ図》(1919)を描いていたとき、寺崎広業はすでに死病の床にあった。異父弟が耳鼻咽喉科医として最期の脈を取り、葬儀には三千人が会葬したという。慶応2年(1866)に秋田で生まれ、大正8年(1919)に五十二で世を去るまで、この画家は山水・歴史・人物・美人画・花鳥のいずれにも筆を届かせ、明治から大正にかけての日本画壇に太い一本の柱を立てた…
1899・絹本着色/掛幅
1909
1902
1914
1899