
国吉康雄
天幕の裏で椅子にもたれるサーカスの女。化粧は落としきれず、目はどこか遠くを見て、疲れと甘さがひとつに溶けている。国吉康雄(1889〜1953)が幾度も筆を戻したこの女たちは、パリで見た軽業の少女に始まり、生涯を通じて彼の絵の中に希望のしるしとして立ちあらわれた。
岡山に生まれ、十七歳の1906年、単身で船に乗る。シアトルで働きながら学び、ロサンゼルスの画学校を経てニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグに入り、ケネス・ヘイズ・ミラーに就いた。初期には角ばった子どもと牛を、傾いだ視点と沈んだ色でくるむ、幻想と素朴の入りまじった画面を描く。夢の中の田園めいたその世界には、東洋の気配とモダニズムが奇妙に同居していた。
1925年のパリ滞在が転機になる。ジュール・パスキンと親しく交わり、ルノワールやセザンヌ、ユトリロ、スーティン、シャガール、ピカソの絵を浴びるように見た。帰米後の1928年からは、記憶をたどるのではなく眼の前の対象を見つめて描く方へ舵を切り、横たわる裸婦のように肉づきと重さのある写実へ深まっていく。憂いを含んだ女性像や、卓上の静物にも、あの沈黙した色調はついてまわった。
1931年に一時帰国した折、警官への敬礼を拒んで罵られ、以後は日本社会と距離を置いた。日系移民として排日的な法のもとで市民権を得られぬまま戦時を迎え、《誰かが私のポスターを破った》(1943)に引き裂かれた心を刻む。翌年の《110号室》はカーネギー美術館の全米展で一等を得た。1933年からはアート・スチューデンツ・リーグで教壇に立ち、後進を育てた。
1948年、ホイットニー美術館は存命の画家として初めて彼の回顧展を開く。市民権への道がようやく法的に開かれた翌年に近い1953年、それを手にすることなく世を去った。作品はニューヨーク近代美術館、ホイットニー美術館、フィリップス・コレクションに納められている。
国吉康雄の作品をお持ちですか?
Cugiraで出品してみませんか?














