期間限定 手数料割引中 出品者3% 購入者1%
ヴァルター・グロピウス

ヴァルター・グロピウス

Walter Gropius
0 作品

1919年、敗戦直後のヴァイマールで彼が掲げた宣言はいまも建築教育の原点として読まれている。「すべての造形活動の最終目標は建築である」。美術学校と工芸学校を統合して立ち上げたバウハウスは、画家と彫刻家と職人が同じ工房で手を動かし、絵画も家具も建築も分け隔てなく学ぶという、当時としては過激な学校だった。

ベルリンの裕福な家に生まれたグロピウスは、若くしてペーター・ベーレンスの事務所に入る。ここで机を並べていたのがミース・ファン・デル・ローエとル・コルビュジエで、のちにモダニズム建築を三分する三人が、同じ師のもとから巣立ったことになる。独立後まもなく手がけたファグス靴型工場(1911年、アドルフ・マイヤーとの共同設計)は、鉄骨とガラスのカーテンウォールで壁面の重さを消し去り、20世紀建築の出発点のひとつに数えられる。

バウハウスは1925年にデッサウへ移転し、グロピウス自身が設計した校舎――ガラス張りの工房棟が宙に浮くように連なる建物――はその理念をそのまま形にしたものだった。しかし政治の風向きは厳しく、1928年に校長を辞し、ナチス台頭とともに1934年に亡命。ロンドンを経て1937年、ハーバード大学のデザイン大学院に招かれ渡米する。

アメリカでは実務からも離れず、教え子たちとThe Architects Collaborative(TAC)を結成、晩年にはニューヨークのパンナムビル(現メットライフビル)にも名を連ねた。マサチューセッツ州リンカーンに自ら建てた住宅「グロピウス・ハウス」は、ニューイングランドの伝統的な木造とバウハウス的な機能美を融合させた実験の場で、いまも当時のまま公開されている。作家としてよりも教育者・組織者としての功績が大きく、彼が育てた人材と制度は、戦後の世界中の建築教育に流れ込んでいった。

ヴァルター・グロピウスの作品をお持ちですか?

Cugiraで出品してみませんか?

出品する

作品が見つかりません