
坂本繁二郎
さかもと はんじろうSakamoto Hanjiro
0 作品
久留米に、同じ年に生まれた二人の少年がいた。坂本繁二郎(1882〜1969)と青木繁。十歳の坂本は町絵師の森三美に手ほどきを受け、神童と呼ばれていたが、二十歳のとき帰郷した青木の絵を目にして雷に打たれる。追い抜かれてなるものか——その一念で上京し、小山正太郎の画塾・不同舎の門を叩いた。青木は二十八で早世する。坂本はその遺作展の世話をし、坂本自身が世を去ったのち、秘蔵していた友の未発表スケッチ数十点が見つかった。
1912年、文展に出した《うすれ日》のほの暗い光を、夏目漱石が誌上で称えた。二年後には二科会の創立に名を連ね、官展の外へ出る。1921年からの三年余をフランスで過ごし、シャルル・ゲランに就いた。ブルターニュの湿った海辺の光が、坂本の絵から輪郭を溶かしていく。
1931年、福岡県八女に画室を構えてからは、そこを動かなかった。放牧の馬、卓上の柿や栗、そして夜空の月——選ぶ対象はどれも口数が少ない。《放牧三馬》では馬の背に灰銀色の空気がまとわりつき、《水より上る馬》では水から上がったばかりの一頭が、しっとりと湿って光る。晩年は能面をいくつも描いた。伏し目の面が、白くぼんやりと発光する。ものの形をなぞるのではなく、それを包む光のわずかな揺らぎだけを、坂本は画布に掬い取ろうとした。1956年、文化勲章。
坂本繁二郎の作品をお持ちですか?
Cugiraで出品してみませんか?
作品が見つかりません
