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円山応挙

円山応挙

まるやまおうきょMaruyama Okyo
133 作品

丹波国穴太村、貧しい農家の生まれ。少年の頃に京へ出て、狩野派の石田幽汀に絵を学んだが、応挙を後の応挙たらしめたのは狩野派の型ではなく、玩具商で扱っていた「眼鏡絵」の仕事だった。西洋の透視図法を使い、覗き眼鏡で覗くと奥行きが浮かび上がる細密な風景画。これを量産するうちに、応挙は物を型で描くのではなく、目に見えたとおりに描くという発想を体に叩き込んでいく。写生帖を手に洛中洛外を歩き回り、草花や虫、鳥獣を飽きずに写し取った逸話は数知れない。

転機は三井寺円満院の門主・祐常との出会いだった。祐常は応挙の才を見込んで経済的にも支え、写生を軸にした新しい絵画への挑戦を後押しした。応挙はここで狩野派の様式美と、眼鏡絵で鍛えた写実の目、そして大和絵以来の装飾性を独自に統合し、誰も見たことのない画風を作り上げる。代表作雪松図屏風は、金地に墨の濃淡だけで雪の重みと松の生命力を描き分けた傑作で、写生の精緻さと装飾画としての華やぎが同居している。保津川図屏風の奔流する水の描写、《藤花図屏風》のたおやかな垂れ枝も、見たものを見たままに、しかし美しく見せるという応挙の一貫した姿勢を物語る。

晩年には眼を悪くしながらも制作を続け、京都画壇の頂点に立つ存在となった。弟子は数十人にのぼり、長沢芦雪のような奇想の絵師も、温和な画風を貫いた源琦も、応挙門下から羽ばたいている。なかでも呉春は応挙に学びながら独自の詩情を加え、のちに四条派を興して円山派と並び称される流れを作った。応挙自身が興した円山派は、写生を基礎に据えながら装飾性を失わない画風として京都の絵師たちに広く受け継がれ、江戸絵画に写生という新しい柱を打ち立てた功績は、今もなお色褪せていない。

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